続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』3241。

2019-08-07 07:11:00 | カフカ覚書

ビュルゲルが口をすっぱくして別れの言葉を言ったところで、出ていく気にはならなかったろう。ただこの部屋にこれ以上いてもしかたがないとおもったので、だんだん出ていく気になりだした。


☆ひっきりなしにビュルゲルが送り出していたが、立ち去ろういう気にならなかった。ただ、これから先の滞在はこのテーマをもたらすには完全に無益になるだろう。


🈞デュシャン『回転ガラス版』②

2019-08-07 06:37:14 | 美術ノート

 現象と知覚の問題である。
 ある一定の速度で回転しているガラス板は、止まっているかのような一定の現象、静止状態ではなかった映像/一つの円を生じる。

 回転(運動)していることを鑑賞者は予め知っているので、動いているのだと認識する。意識には今リアルに見ている景色のほかに構造の仕組み(回転)を知っているという二重の認識が複合的に作用する。
 しかし、二重の意識は一方の強い認識に加担するので、捉えた視覚を優位に感知せざるを得ない。

 見ることの条件作用、対象との距離、動きの速度などによって、脳の誤作動ともいうべき知覚が生じる。止まっている電車の車内にいて逆方向の電車が動き始めたとき、自分の乗った止まっている電車が動き出したのだと錯覚することも、この範疇に入る錯視である。

 視覚は常に正常な状態を把握しているとは限らず、対象物が何らかの力(エネルギー)によって変形を余儀なくされることもあり、その関係性は一定ではない。

 地球は球体であり回転しているのだという事実も、その構造への明晰な認識を欠いては理解できない。
 見て感じているという絶対的な真理も錯覚(錯視)にすぎない場合が多々あるかも知れないということである。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より


『セロ弾きのゴーシュ』75.

2019-08-07 06:29:14 | 宮沢賢治

 次の晩もゴーシュは夜通しセロを弾いて明方近く思はずつかれて楽器をもったまゝうとうとしてゐますとまた誰か扉をこつこつと叩くものがあります。


☆字を番(組み合わせる)也。
 二つの談(話)は冥(死後の世界)の法(神仏の教え)である。
 襟(心の中)の旨(考え)の絡(筋道)の記を推しはかる。
 秘(人に見せないように隠した)講(話)がある。


『城』3240。

2019-08-07 06:17:38 | カフカ覚書

 ふかい眠りから突然起こされたためにぼんやりとし、まだいくらでも眠りたくてたまらないし、それに、窮屈な姿勢をつづけていたために全身のあちこちが痛くてならないので、Kは、いつまでも立ちあがる決心がつかず、額をかかえて、自分の膝を見つめていた。


☆深い眠りを不意に起こされ呆然とし果てた。ずっと苦痛な態勢でいたために不快であり、Kは長いこと立ち上がれず頭を抱え、自身の膝を見ていた。
※膝は母胎を暗示しているかもしれない。