続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

若林奮『振動尺試作Ⅳ~Ⅶ-あるいはスプリング蒐集改(2nd Stage)』

2019-08-28 06:54:24 | 美術ノート

   『振動尺試作Ⅳ~Ⅶ-あるいはスプリング蒐集改(2nd Stage)』

 スプリングって何?・・・跳躍台、ばね?
 台座はいつものように浮いている。
 4種類の振動尺が並列している。酷似しているが、各々微妙に異なっている。この差異は何だろう。
 角が丸みを帯びたもの、線状が幾本もあるもの、亀裂(分断)があるもの、ストレートだが多少距離の短いもの、どちらが前面だか説明がないが、それぞれ異なる表面処理がなされている。

 振動尺・・・分かり難いが、時間を伴い、距離も必然的に関係する空間における現象である。
 現象を測る、つまり目に見えない、認めることが困難な抽象的な仕事の具現化を、鑑賞者は何度も反芻しながら近づいていくしか術がない。

 スプリングとは何を示唆しているのだろう。風などの外力による共振の形だろうか。
 対象に対して目を開き、その時間と空間の質を確認する。(厳密には空気の中の原子は常に振動しているが)ミクロの目で見るということではなく、精神の目で測る試みである。不可視なものを触覚で確認するという仕事に対して、鑑賞者は否定的にならざるを得ないが、譲歩して見るという第一歩である。《見えないものを見る》という基本に副いたい。


   写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館より


『セロ弾きのゴーシュ』89.

2019-08-28 06:25:41 | 宮沢賢治

「ああよくなったんだ。ありがたうございます。ありがたうございます。」おっかさんのねずみもいっしょに走ってゐましたが、まもなくゴーシュの前に来てしきりにおじぎをしながら「ありがたうございますありがたうございます」と十ばかり云ひました。
 ゴーシュは何かかあいさうになって「おい、おまへたちはパンをたべるのか。」とききました。
 すると野鼠はびっくりしたやうにきょろきょろあたりを見まはしてから
「いえ、もうおパンといふものは小麦の粉をこねたりしてこしらへたものでふくふく膨らんでゐておいしいものなさうでございますが、さうでなくても私どもはおうちの戸棚へなど参ったこともございませんし、ましてこれ位お世話になりながらどうしてそれを運びになんど参れませう。」と云ひました。


☆双(二つ)の全ての記は自由に運(めぐらせている)。
 化(教え導く)也。
 蘇(よみがえり)現れる照(あまねく光が当たる=平等)は、爆(はじけ)奮(ふるいたたせる)望みである。
 詞(言葉)の途(すじみち)は、法(神仏の教え)である。
 太陽の畏(尊敬すべき)意(考え)に和(調子を合わせて)して、運(めぐらせている)。
 太陽の薀(奥義)である。


『城』3253。

2019-08-28 06:14:12 | カフカ覚書

ですから、フリーダという女は、即刻酒場にもどらなくてはならないのです。酒場にもどったらもどったでまた障害になるかもしれませんが、そのときはまた出ていってもらうまでです。しかし、いまさしあたっては、どうしてももどる必要があります。


☆フリーダ(自由)は直ちに再び酒場(転換点)にもどらねばなりません。多分、まさしく妨げになるかもしれませんが、その時は出て行くようになります。しかし、差し当たりは戻らねばなりません。