『振動尺試作Ⅲ』
振動が一定ではないこと、対象物(焦点)との間に感じるストレス、違和感は潜在意識の中で解消され《無/空間》として理解される。
しかし、異物は時空の中に必然的に存在する。
振動は必ずしも一定ではない。
感じうる時空は視界に映る凸凹を削除し、直線的に集約される。拡散であると同時に集約である形、眼差しは一方向のみであり、背後に視線はない。
音や光波に交じる建物あるいは山川などの風景は、眼差しの中で簡略化され、無意識下に昇華されていく。
精神的な眼差しや精神的な質的変換は、現象としては証明できない。永遠の試作として曖昧さを残したまま触覚による再現に問うしかないのではないのではないか。
写真は『若林奮ーVALLEYS』横須賀美術館より
「なあんだ、これでいゝのか。」ゴーシュはセロをまげて孔のところに手をあてて待ってゐましたら間もなくこどもねずみが出てきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。見るとすっかり目をつぶってぶるぶるふるへてゐました。
「どうだったの。いゝかい。気分は。」
こどものねずみはすこしもへんじもしないで、まだしばらく眼をつぶったまゝぶるぶるぶるぶるふるへてゐましたがにはかに起きあがって走り出した。
☆講(話)の趣(ねらい)は二つを換(入れ替えて)推し量る。
兼ねて黙っている基(もとになるもの)は文(文章)に現れる記が総てである。
わたしたちがこのような障害をとりのぞくのは、クラムやクラムの仕事のためではなく、わたしたち自身のため、わたしたちの良心の安らぎのためです。
☆わたし達がこの混乱を除去するのは、氏族の不在証明のためではなく、わたし達の良心、わたし達のためです。