『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁さえも、(大ガラス)』
油彩、ワニス、鉛箔、鉛線、埃、アルミと木と鉄の枠で固定された二枚のガラス、277×175.8㎝
意味の破壊・・・無に帰すために物から意味を剥奪した各種の思考を隠蔽した作品群の混沌。
「何を意味するか」ではなく何も意味しない物たちの集合体は、意味を拒否している。
固定されているが、時空を開放すればたちまち倒壊に至るものばかりである。
偶然・刹那・時空の欠片・・・ガラスでの固定は宙に浮遊するかの印象を与える。あたかも本当に存在し、起こり得た現象のような夢幻。
『彼女の独身者たち』という表現はない。彼女(単数)は独身者たち(複数)を所有しないから、独身者たちは不在であり、独身者たちによる行為もあり得ないし、花嫁も幻である。この全体意味不明の掴みどころのない現象は非現実である。
強いて要約すると『非現実でさえも』ということになる。
大ガラス(作品)を見る者は、自分の映り込みを見るに違いない。ガラスの向こうにも人がおり、自分と偶然居合わせた人とが自分を見ているという構図になる。(もちろん、ガラスの向こう側の人も同じ感慨を抱くと思う)
『非現実でさえも現実である』
この不思議な空間を体感できないのは残念だけれど、ヒューマンスケールでの視界を巧みに計算した(大ガラス)はデュシャンのメッセージの集大成である。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より