上部のガラス板に提示された景色は、雲あるいは浮遊であり、『花嫁』の部分は落下もしくは流動のイメージである。
下部のガラス板に提示された景色は、『9つの雄の鋳型』にみる複製・増殖、『近接する金属の中に水車のある独身者の器具』にみる偽装・崩壊、『チョコレート粉砕機』にみる非生産性・・・地上の混沌、回転(運動)の無為を暗示している。
天と地、雌雄(男と女)、世界の不具合、それでも地球は回っているとでもいうような《、さえも》。
偶然と必然、~のように見える光景、その景色に近接する鑑賞者は作品に溶解し、現実と非現実の狭間で仮象に属するしかないガラス板に映った自分を発見する。
『落ちる水と照明用ガス』、生命の必須条件を展示空間に認めるとき、鑑賞者自身が作品の一部になっていることを実感するのではないか。
『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』は、世界の分解であると同時に解放である。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より