各階に水とガス・・・地上(地球)に与えられた水(三態)とガス(気体)、これが全てであり、これが生命連鎖に必須の条件である。これらを『与えられたとせよ』と前提条件にすることで今があり人類の歴史がある。
即ち、全人類、全生物にとっての平等であり、ここに端を発して連鎖が続行されている。
水とガスなくして生命活動は成り立たない。
このプレートの意味は(水道完備ガスの設備もあります)という居住条件であるが、水とガス(気体)の存在によって生物が誕生したのであり、人類発生以前、すでに「水とガス有りき」で居住条件は満たされたのである。
デュシャンは常に存在の原初を探っている。時空を超え、なおかつ存在し続けている(水とガス)。
存在しているが、つかみどころなく、見えたかと思うと消えている物体。
水は三態、個体液体は見えるが気体に混入した場合は姿は見えない。
ガスは照明、燃料という現象で姿を露呈するが、本来、有るが無いという不可視な状態にある。
《有るが無く、無いが有る》という現象を呈す水とガス、それを『各階に水とガス』と歌うフレーズの確信、奇妙な亀裂。わたし達は条理と不条理の間を生きている。
そしてすべからく人は同じ条件の中で生きており、等しく平等であり各階(階層)などは解放されている。
『各階に水とガス』のフレーズには深い意味を感知する遊びが隠れている。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より
すると野ねずみは何をわらはれたらうといふやうにきょろきょろしながらゴーシュの前に来て、青い栗の実を一つぶ前においてちゃんとおじぎをして云ひました。
☆化(教え導くこと)の全てに頼ると、照(あまねく光が当たる=平等)の理(筋道)に昵(慣れ親しむこと)が逸(隠れている)。
繕(つくろい、直す)運(巡り合わせ)である。