エルランガーは、すでに出かける用意がすっかりできていた。黒い毛皮の外套を着、ぴったりとくっついた襟のボタンを上まではめていた。ひとりの従僕が、ちょうど手袋を差し出したところで、手にはさらに帽子をもっていた。
☆エルランガーは完全に覚悟して立ち去った。彼は先祖の悲しい精神を担い、つきつめて断を下し、詰問した。先祖の機関はまさに団体の罪とみなされ、自ずから惑わされていた。
いかにも機能しそうな『花嫁』の一部、もっともらしい連結。しかし力の方向は意味を成していない。花嫁が単に一時的な美称であるのと同じであり、空虚である。
その横の三枚の視覚の紙切れのようなものは雲形をした面に納まっているが現象の刹那を固定化しているにすぎず、上部のガラスの領域にあるのは重力による重力の否定ともいうべき《空》の浮遊である。
下部のガラス面には『9つの雄の鋳型』『チョコレート粉砕機』『接近する金属の中に水車のある独身者の器具』などの不明、あるいは不条理に満ちた機能性、生産性のない不条理の結集である。
無とは何か。有(存在)を以て混沌・破壊の現象を提示し、深層心理の奥底まで引きずり込む。証明は遠く、過去あるいは遠い未来への眺望にある。
もちろんその意図(企画)は決して公表されない。鑑賞者は作品の冒険者でなくてはならないからである。
『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)』は(大ガラス)ゆえに鑑賞者自身を映す。自身も周囲の景色もその中に映りこむ、この不条理に溶解し、一体となる構想だからである。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschen.com)より
「先生、それはうそでございます。先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなほしておいでになるではありませんか。」
「何のことだかわからんね。」
「だって先生先生のおかげで、兎さんのおばあさんもなほりましたし狸さんのお父さんもなほりましたしあんな意地悪のみゝづくまでなほしていたゞいたのにこの子ばかりお助けをいたゞけないとはあんまり情けないことでございます。」
☆千(たくさん)の章(文章)は、専(ひたすら)照(あまねく光が当たる=平等)を毎(そのたびごと)に加(その上に重ねている)。
照(あまねく光が当たる=平等)の趣(ねらい)を描く記であり、化(教え導くこと)を選んだ章(文章)である。
図りごとの理(筋道)は普く異(別)の字で和(調子を合わせた)詞(言葉)で叙(述べる)のを常としている。
えるらんがーがあいたドアのところに立って、合図をしてくれなかったら、Kは、この部屋のまえもうっかりして通りすぎてしまうところであった。合図といっても、人さし指を一回ぴくりと動かしただけである。
☆エルランガーは未解決の同族の企てに合図をせず、多分エルランガーは全く無関心にテーマ(企て)をやり過ごし、ただ、ほんの少しばかりの汚点に彼は人さし指で合図をしたのである。