『不明確性についてⅡ』
大地だろうか、平面には角あるいは点の鋲が打たれている。整列した連続は、~のように見えるだけであり、左右の間にある鉄(金属)の線条は、これが大地であるならば、同じ面上の連続を断ち切る川や海など異質のものとの接合である。
この光景はあらゆる想像上の風景に相当する。
任意の大地(重力下)を切り取ったものであるが、視覚により触覚の質感を呼び覚ますように仕向けられている。手触りの変移が世界を暗示する。
世界は山川海の大きな差異の凸凹があるが、遠く地球を眺めるならば、平面の連なりが球体にを被っているに過ぎない。
この落差を埋めるのは実測ではなく仮定である。つまり決して明確な論拠を持たない感想としての質的感触である。
『不明確性についてⅡ』は、見ること(視覚)を感触(触覚)に置換した抽象的な答えである。
写真は『若林奮ーVALLEYS』(横須賀美術館)より
「はい、こゝらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはひって療すのでございます。」
「すると療るのか。」
「はい。からだ中とても血のまはりがよくなって大へんいゝ気持ちですぐに療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」
☆描く記は千(たくさん)の章(文章)から照(あまねく光が当たる=平等)を解(さとす)。
霊(死者の魂)の糧(支える上で必要なもの)を注(書き記す)決(覚悟)の他意の記である。
字を利用した法(手立て)の記であり、霊(死者の魂)の法(神仏の教え)である。