続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)山つつじ。

2020-12-01 06:49:17 | 飯島晴子

   山つつじ折とり母の衿そよぐ

 一面の山つつじ、道はなだらかに曲がりくねっている。その中を行く母の姿はつつじに埋もれて確かではないが、時折、衿が風にそよいでいるのが感じられる。風光明媚な景にお母さまがおさまる穏やかな一枚の絵である。

 山つつじ(山躑躅)はサン・テキ・ドクと読んで、三、適、読。
 折とり(折取)はセツ・シュと読んで、説、主。
 母の衿そよぐ(母衿戦)はボ・キン・センと読んで、募、訓、閃。
☆三つの適(当てはまる)読みがある。
 説(話)の主(中心となる事柄)を募り、訓(字句を解釈する)と、閃(ひらめく)。

 山つつじ(山躑躅)はサン・テキ・チョクと読んで、算、的、直。
 折とり(折取)はセツ・シュと読んで、設、趣。
 母の衿そよぐ(母衿戦)はボ・キン・センと読んで、簿、襟、詮。
☆算(見当をつけ)的(ねらう)と直(ただち)に設(こしらえる)。
 趣(志すところ)は簿(ノート)にある襟(心の中)を詮(明らかにすること)である。


R.M『完全なる調和』

2020-12-01 06:22:59 | 美術ノート

   『完全なる調和』

 巨岩石・女・一葉…人工的な室内、そして背後の海と空(自然)
 この関係は何だろう。
 石は何を意味しているのだろう・・・。

 主なる神はとこしえの岩だからである(『イザヤ書』第26章)
 
 岩を背にしている、ということは否定なのだろうか。手に持つ一葉はノアの箱舟におけるオリーブを暗示しているのかもしれない。
『完全なる調和』は、完全なる破壊に通じる静かなる抗いかもしれない。答えを明かさないマグリットとの距離こそ完全なる調和に思える。

 肯定しつつ否定する、否定しつつ肯定する、このバランスだろうか。生命の神秘、人は女性の腹からしか生まれないという決定事項の神格化。(マリアは神の御神託によりキリストを生んでいる)

 この女に微笑みはなく信念めく強い眼差しで正面から目を逸らし何かを見つめている。目線は低くも高くもなく、しいて言えば、永遠の水平線である《真理》への眼差しであり、物理的根拠と精神的深淵の一致(調和)である。

 写真は『マグリット展』図録より


『城』3547。

2020-12-01 06:07:23 | カフカ覚書

しかし、たまにお客さまになにか言うときは、からだをまげて、こっそり耳うちするので、となりのテーブルの人は、耳をそばだてなくてはなりません。


☆しかし、先祖の傷痕については自由ではない、と下の方からお辞儀をして幽霊がささやきます。死の入口では耳を鋭くしなければなりません。