続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)凍瀧を。

2020-12-07 06:46:57 | 飯島晴子

   凍瀧を亡母の衣裳嗚呼のぼる

 凍瀧、壮絶な寒さに凍る瀧の光景。この情景に《嗚呼》と叫ばざるを得ない現象は虹をおいて他にない。天女の羽衣…天に召された亡母の衣裳は光の糸で織られた虹こそ相応である。

 凍瀧はトウ・リョウと読んで、統、両。
 亡母はボウ・ボと読んで、謀、簿。
 衣裳はイ・ショウと読んで、異、章。
 嗚呼のぼる(嗚呼昇)はメイ・コ・ショウと読んで、命、怙、章。
☆統(ひとすじにまとめる)両(二つ)の謀(図りごと)がある。
 簿(ノート)には異なる章があり、命(めぐり合い)を怙(頼りにする)章である。

 凍瀧はトウ・ロウと読んで、套、漏。
 亡母はボウ・ボと読んで、防、模。
 衣裳はイ・ショウと読んで、意、衝。
 嗚呼のぼる(嗚呼昇)はメイ・コ・ショウと読んで、明、個、象。
☆套(被ったもの)が漏れることを防ぐために模(手探りする)意(考え)は、衝(重要)である。明らかに個(それぞれ)の象(すがた)がある。


R.M『記憶』②

2020-12-07 06:19:17 | カフカ覚書

 記憶は主観であるが、ママ世界の記憶というように歴史的史実を言及することもある。この画の場合、記憶の主体はこの石膏頭部にあるのだろうか。もちろん石膏(無機物)が、精神の領域を所有することはあり得ず、イメージである。記憶が肉感を伴わず、空想に置換されているのは、主観と客観の間に位置しているからで、個人的な記憶というより、普遍的な記憶という感じがする。

 つまり既に現世を離れた人の記憶であり、石膏で模られた空想の女人の悲哀である。偶像は母かもしれない。亡母の今(死後)を正確に描く事への執念…こうであったに違いないという妄想であるが、彼女の側から記憶としての告発でもある。
 鮮血は受けた傷の深さであり、その因は背後の馬の鈴(口伝・噂)にあり、暗く重い曇天の空の下、海上を板状の上に乗り彷徨している母の記憶である。
 一本の薔薇だけが救いであり、現世とのつながりを約束する愛の化身である。マグリットの秘密の鍵でもある。
 マグリットの母への想い、媒体は『記憶』であり、ひとり胸の中に留まるものである。


 写真は『マグリット展』図録より


『城』3551。

2020-12-07 06:05:09 | カフカ覚書

なんとも結構な蜜月の始まりでしたこと!とは言いましても、わたしは、あなたがフリーダのそばにいることに耐えられなかったからといって、けっしてあなたを非難しようというのではありません。あんな女のそばになんかおれるものではありませんわ。

☆全てはきらきら光る美しい始まりでした。フリーダのそばにいられなかったことで、あなたを撃退するというわけではありません。とても傍になどいられるはずがないからです。