続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)冬たんぽぽ。

2020-12-24 07:10:32 | 飯島晴子

   冬たんぽぽ細き柱の家の建つ

 冬たんぽぽ、寒いので地面に這うように葉を広げ、茎も短く弱弱しい印象である。そんな冬たんぽぽのような細い(頼りない)柱(主人)が家を建てました。

 冬たんぽぽ(冬蒲公英)はトウ・ホ・コウ・エイと読んで、套、保、講、営。
 細き柱はサイ・チュウと読んで、再、注。
 家の建つはカ・ケンと読んで、荷、兼。
☆套(おおって)保つ講(話)を営(こしらえている)。
 再び注(意味を明らかに書き記す)と、荷(身に引き受けた)兼(二つ以上のもの)がある。

 冬たんぽぽ(冬蒲公英)はトウ・ホ・コウ・エイと読んで、党、歩、交、詠。
 細き柱はサイ・チュウと読んで、際、衷。
 家の建つはカ・ケンと読んで、歌、研。
☆党(仲間)と歩み、交わって詠む際(とき)も、衷(心の中)の歌を研(磨いている)。


R.M『心臓への一撃』②

2020-12-24 06:51:15 | 美術ノート

 心臓への一撃とは、必ずしも殺意を指すものではなく、愛を射止める求心力、要するに震撼させるような衝撃(ショック)という精神的なものかも知れない。
 全身全霊を撃ち抜く、それは何か。

 絵の中にあるいくつかの矛盾(不条理)、水平線は左右で異なり、左は明確、右は不鮮明である。
 
『心臓への一撃』には精神的あるいは物理的の二面があるが、必ずしも両面は離れたものではなく、競合することもあり一撃は矛盾を孕む一瞬である。薔薇の木から短剣が生えるわけもなく、短剣が薔薇を生むわけでもないが、薔薇に象徴される愛と短剣が意味する殺意とは同時性をもって共存している。
 精神の深淵、心象風景である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3563。

2020-12-24 06:31:03 | カフカ覚書

つまり、縉紳館にもどるけっしんをしたのです。それは、ほんとうにまたとない好機だったのです。あのずるいフリーダがこういうチャンスをうまく見定めて、それを利用する手並みは、驚嘆せずにはおられません。この観察と決断の力こそ、だれも真似ることのできないフリーダの手腕です。


☆それは、実際ギリギリの時間でした。あのフリーダがこれを知り、利用したのには驚いてしまいました。この観察の力こそ、だれも真似の出来ないフリーダの技量なのです。