続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈) 桜鯎。

2020-12-25 07:17:09 | 飯島晴子

   桜鯎旅の時間の余りけり

 旅の時間に余裕があったので桜鯎の郷土料理を頂いた、あるいは桜鯎の投網による捕獲を見物(?)・・・炭火焼きの桜鯎を食べたという想い出だと思う。

 桜鯎はオウ・ウグと読んで、王、迂愚。
 旅の時間はリョ・ジ・カンと読んで、慮、治、官。
 余りけりはヨと読んで、興。
☆王(君主)は迂愚(世事に疎く愚かである)。
 慮(あれこれ考え)、治(おさめる)官(役人)の輿(担いで運ぶ乗り物)である。

 桜鯎はオウ・ウグと読んで、翁、迂愚。
 旅の時間はリョ・ジ・カンと読んで、侶、事、甘。
 余りけりはヨと読んで、誉。
☆翁は迂愚(世事に疎く愚かである)。
 侶(メンバー)の事を甘(あまやかし)、誉(褒めたたえる)。


R.M『絶対の声』

2020-12-25 06:51:58 | 美術ノート

 絶対とは何か、他の制約を一切受けず、比べるものがないこと…。
 そして《声》。声は一時的に存在するが、形象はなく消滅するものである。 しかし『絶対の声』とタイトルして描かれた具象画はそのままの状態を保ち続ける。時間の刹那と永遠、見える、あるいは感じる現象に持続はないが記録は残存する。

『絶対の声』とは《思考・主張》であり、他にないわたくし自身の考えを指している。必ず、何としても《わたくし》であり、決して《わたくし以外のものではない》という声明である。
 Une rose danes Luniners(宇宙の中の一輪の薔薇)、絶対無比のわたしの、わたしの中の考え(思い)であると。
 誰の考えも寄せ付けないし、聞く耳も持たないわたしの世界、わたしの一途な愛(薔薇)そのものであるという頑ななまでに守りたい貫く愛の主張は、まさに宇宙の中の一輪の薔薇である。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3564。

2020-12-25 06:38:08 | カフカ覚書

わたしにもこういう才能があったら、わたしの人生は、もっとちがった行路をたどっていることでしょう。フリーダがもう一日か二日ほど学校にいてくれたら、わたしは、もはやここを追いだされるようなことはなく、酒場娘の地位を決定的なものにし、すべてのお客さまから愛され、大事にされ、お金もたっぷりかせいで、この一時しのぎの貧相な身支度を豪華なものに変えていたことでしょう。


☆ペーピに彼女のような技量があったら、他に生きる道もあったでしょう。フリーダがもう一日か二日長くとどまっていたなら、わたしは追いだされることなく酒場(死の入口付近)などという作り話を決定的なものにし、すべての愛すべき人たちからも十分に受け入れられたでしょう。この一時しのぎの装備を完全なものにしたことでしょう。