続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈) 狐火や。

2020-12-28 07:01:51 | 飯島晴子

   狐火や黒き袂の平らなる

 闇夜である。狐火(燐火など)が点くと、眼はそのことに集中し、背景の山や麓はすべて平(一様)に黒くベタに見える。目にはそう認識してしまう作用がある。

 狐火はコ・カと読んで、顧、過。
 黒き袂はコク・ベイと読んで、告、米。
 平なるはヘイと読んで、弊。
☆顧(省みる)過(あやまち)を告げると、米(アメリカ)に弊(敗れたこと)である。

 狐火はコ・カと読んで、庫、荷。
 黒き袂はコク・ベイと読んで、穀、米。
 平らなるはヘイと読んで、蔽。
☆庫(物をしまっておく建物)の荷は穀(穀物)であり、米を蔽(見えないようにしている)。

 


R.M『即自的イメージ』

2020-12-28 06:36:44 | 美術ノート

   『即自的イメージ』

 木製のテーブルの上に高台付きの皿があり、ガラスのカバーの中にはチーズが描かれた絵が入っている、背景は時代を特定しないベタである。
 これら条件を満たす答え・・・絵に描かれたチーズをカバーする必要はない、しかも高台付きの皿に掲げるのも愚である。
 木製のテーブルと見えるものは床板かも知れない、としたらこの高台付きの皿並びにガラスカバーの中のチーズの描かれた絵は巨大に変化する。鑑賞者はチーズケーキの常識的な大きさを知っているから、それを基準に他の大きさを特定する傾向があり、それを決定とするからイメージは動かない。

 しかし、時空は二つを潜在させており、ここに決定はない。
 対峙する二つの時空は視点の位置により動いてしまう。未決定である。作家の意図は不明確に隠蔽されている。
 状況は安定しているが、内実は対峙する二つの時空が内在する決定を拒む時空として描かれている。
 これをもって『即自的イメージ』という不安定かつ未開の状況への答えを導き出している。


 写真は『マグリット』展・図録より


『城』3564。

2020-12-28 06:12:06 | カフカ覚書

もう一日か二日ありさえすれば、どんな策略をつかっても、クラムを酒場に来させないようにしておくことは、もう不可能だったでしょう。クラムは、酒場に降りてきて、ビールを飲み、愉快な気分になることでしょう。たとえフリーダがいないことに気がついても、この変化にとても満足したことでしょう。あと一日か二日あれば、フリーダも彼女のスキャンダルやコネも、助手たちも、ことごとく忘れ去られてしまい、二度と姿をあらわすことはできないでしょう。


☆なお、一日か二日あれば、クラムを幽霊のテーマである小舟の関係(企み)に来させないことができたでしょう。クラムは酒場(死の入口付近)まで来て生命のとてつもない変化を認めたことでしょう。あと一日か二日あればフリーダのスキャンダルや彼らとのつながりも助手たちのことも全く忘れ去られ、決して傷痕が話題にされることもなかったでしょう。