続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

あの頃・・・。

2015-04-10 06:45:04 | 日常
 先日のサークルでの話。
 メンバーは75才、72才二人、わたし68才。
 同じような年代ということは同じ時代を生きてきたと言うことで、不意に出る記憶の一端。
「中村錦之介の映画見たよね」と誰かがいえば、
「そうね、紅孔雀とか」
   (相当に古いな)
「見たわ、東千代之介とか伏見仙太郎とか」
「笛吹き童子とかね」「そうそう」
「あのころさぁ・・・」と話はどんどん盛り上がる。

 あの頃の事件、あの頃のスター・・・共通項を探り当てるまでもなく共感できる。同じような年代ってツウカーで話せるから気を使わない。


 あの頃・・・わたしが始めて歌ったのは「♪緑の丘の 赤い屋根 とんがり帽子の 時計台 ~♪」だと聞いている。
♪海を見つめていた 浜のキャバレーにいた 風の噂はリ~ル 上海帰りのリル~リル♪なんて歌の記憶もある。


 どうしたって取り返すことの出来ないあの頃、あの時代。
 みんな同じ時代を生きている仲間、もう少しかもしれないけれど《仲良くいきましょう》そんな気持ちになるサークル仲間。
 あの頃を共有できるって嬉しい・・・かも。

『冬のスケッチ』79。

2015-04-10 06:31:07 | 宮沢賢治
二八  (さうです。そんならポポカテペトル噴火山から下の方
     を見ると何が見えますか。)
     (ポポカテペトル山の上から下を見ますと
      主にさぼてんなどが見えます。)


☆憤(いきどおり)の果(結末)は惨(いたましさ)を包んでいる。
 禍(不幸・災難)の源に算(見当をつけて)章(文章)を解き、検(しらべると)趣(考え)が現れてくる。

『城』1933。

2015-04-10 06:16:07 | カフカ覚書
この値段についてクラムと取引きすることが、あなたのめざしていらっしゃる唯一のことなのです。あなたの眼からすれば、わたしなんか無にひとしく、すべては値段にかかっているのですから、あなたは、わたしにかんしては、相手さえあれば、だれにでも売り渡すつもりでいらっしゃるが、値段にかんしては、おいそれと折れようとはなさらない。


☆この称賛について討議することが、あなたの努める唯一のことなのです。その場合には、わたしは無であり、称賛は常に死を迎える準備にかんすることであり、称賛(栄光)にかんしては執着があるように見える。

金山康喜《アイロンのある静物》考。

2015-04-09 06:57:54 | 美術ノート
 


 金山作品にはなぜか、熱源をモチーフに使用していることが多い。《アイロンのある静物》などは、アイロンと銘打たなければただの物体としか思えないが、アイロンと明記したことで、鑑賞者に重くインプットされる。
 アイロンという熱源は、作品の中で熱を放っているわけではないから、黄色を放つ(輝く)瓶に比して冷たいとさえ感じてしまう。いわば、隠れた熱源(エネルギー)であり、踏み込んで考えなければ、熱を想起することは難しい。
 もし、言葉だけでそれを聞いたなら、あるいは文字として「ビンとアイロン」を見たならば、明らかにビンは冷たく、アイロンは熱いとイメージする可能性が高い。
 言葉と物、直感的視覚における脳の誤作動・・・いわゆる錯覚の作用を金山康喜は計算している。心理的な絵というにはあまりにも計算が巧みで、斜に構えた作者の冷徹な眼差しが目に浮かんでしまう。


 青い、あるいは柔らかい朱に染まったシャツは、台の上に広げて乗せられている。アイロンばかりか瓶が乗り、黒い物体は帽子だろうか・・・とにかくアイロンを隠すような(印象を薄めるような)形で並んでいる、押さえつけているといってもいい。《アイロンの~》と言っているにも拘らず、(どこにあるの?)というくらい印象を薄めている。しかし、よく見ると、三つも置いてある。利き手が何本もない限り無用の長物である。この矛盾、この錯乱が鑑賞者の心理を惑わせる。アイロンの位置関係もいっぺんに見ようとするとロンパリ状態の目つきになってしまう。
《アイロンのある静物》のアイロンは、主題であって(肯定)主題でなく(否定)作者の企みの下の大いなる主題(肯定)なのである。

 比ゆ的にシャツを自身と考えるなら、それはアイロンの熱と華やかでエネルギッシュな黄色のビンと黒く重く描かれた帽子(実際は軽い物)によって、身動きできない状態に侵されている。薄物のシャツに圧し掛かる重圧、その下に忍ばせた断ち切りバサミも見逃せない。
(輝色のビンの上、触れなんばかりの白い電球、灯りは灯っているのか否・・・。背後の三つの影のような電球は何を意味しているのだろう。中央の電球を見守るようでもあり、監視するようでもある。単に在るだけの電球にまで意味を感じさせる作品の怪しいまでの物語空間は静止の一枚である。しかし、この部屋の中でざわめく会話が賑やかに飛び交っていて、一瞬の静止にすぎないというような気がする。窓の外は果たして暮色のオレンジなのだろうか。心理的な彩色は窓外の空気を解釈した色かもしれない。

 作品の中の熱源、火であり灯りであり熱など熱い物への感情移入。エネルギーへの羨望、眩しさ・・・熱を帯びるであろう筈のアイロンの活性は見えない。
 自然光の乏しい暗部(室内)に見る生命の鼓動を神経質な眼差しで量っている。作品は私小説の要因が強いが、わたくしを誇張するものではない。しかし、わたくしを語っている。

 金山康喜の彩色の深さ、構成の妙に揺さぶられながら・・・金山康喜を忍んでいる。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『冬のスケッチ』78。

2015-04-09 06:50:00 | 宮沢賢治
  (メキシコの
   さぼてんの砂っ原から
   向ふを見るとなにが見えますか。)
   (ポポカテペトル噴火山が見えます。)


☆赦(罪や過ちを許す)源は、劫(極めて長い時間)の検(取調べ)で顕(明らかにされる)。
 粉(細かく砕く)果(結末)に算(見当をつけ)研(物事の道理を究める)。

『城』1932。

2015-04-09 06:20:25 | カフカ覚書
こうなったのは、あなたがわたしというクラムの愛人をわがものにしたとおもい、それによって最高の値段でしか請けだせない担保を押さえていると信じていらっしゃるためなのです。


☆こうなったのは、氏族の先祖へ行き着き、共感を得たとおもい、それによって最高の称賛を所有したと信じているためなのです。

金山康喜。

2015-04-08 06:49:06 | 美術ノート
 金山康喜の作品は「初めに意図ありき」である。むしろそれを隠蔽すべく構図やバランス、彩色や質感といったものを配置し、それらモチーフの機能に仕掛けを施す。そして物語は動き出すという具合である。

 青は深い青、宙を突き抜けるような透明なブルーであってはいけない。あくまでも深い海の底の鬱積、しかし凄烈な夢の心地を残す青である必要がある。なぜなら、未来への夢想は願望でもあるのだから。

 黄色や白はレモンのフレッシュ・純粋の処女性であり、悲しみと絶望がそれを翳らせてしまう。刻々と迫る時間の猶予を暗示する置時計は作品の中で沈思の支点である。

 コーヒーミルの取っ手を回せば、すべてが押し倒されてしまう。何かの秘密が一つでも解体されれば世界はその瞬間崩壊を余儀なくされる・・・そんなサスペンス仕立ての哀愁。

 火は燃えているか・・・ロウソク・マッチ・コンロ(ランプ)・果ては焼栗屋の屋台のガス。
 燃える・・・生命、恋愛、情熱への飽くなき未練と躊躇、そして深い絶望の影。


 金山康喜の作品は鑑賞者を酔わせる情念がある。誰もが抱く希望と不安が交叉する哀愁が、あの青の中に漂流している、活きている。美しく凛とした品のいい青(作品)の中にある青春の光と影が、鑑賞者を誘って離さない魅力を放っている。

『冬のスケッチ』77。

2015-04-08 06:39:13 | 宮沢賢治
        *
  シグナルに
  にはかに青き火あらはれ
  汽車かけ来たれば
  われせきを越しどてに座せり
  桐青くふりきたり
  列車に明き窓もなく
  まことに夜の貨物のみ。
  たゞしけむりはシグナルの赤をうつして
  ひらめけり。あるいは青くながれたり。


☆章(文章)の化(形、性質を変えて別のものになる)を記し、赦(罪や過ちを許す)記を閲(調べ確かめる)座(星の集まり)は路(人の往来するところ)に肖(似ている)。
 列(順に並ぶ)者の妙(はかりしれない)遭(偶然の出会い)がある也。
 嘉(すぐれた)仏の責(なすべき仕事)は、正しい。

『城』1931。

2015-04-08 06:25:21 | カフカ覚書
あれは、もしかしたら、お内儀さんが使ったのとおなじ文句だったのかもしれません。お内儀さんも、あなたはわたしを知ってからはじめて自分の目的をはっきり意識するようになった、と言っています。


☆もしかしたら言葉の素性(血統)は、平等な言葉だったのかもしれません。わたしが言葉を知ってから、目的意識を持つようになったというのです。

お裁縫。

2015-04-07 06:50:56 | 今日の一枚。
 わたしの場合、だいたいが〔お絵かき〕〔お裁縫〕と言った手習いのレベルである。
 それでも縫っていると必ず出来上がるし、寸法などもあまり細かく計算しないで行き当たりバッタリ自分に合うように作るので、不恰好この上ないけれど、着易いという利点がある。
 ちなみにこの二点は半月ばかりの時間で縫い上げた。「時は服を仕立てる」という感じでいつの間にか出来上がるからそれなりの愉しみ。自己満足の噴飯物かもしれない。