続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』1937。

2015-04-14 06:09:12 | カフカ覚書
そのくせ、他方では、橋屋のお内儀さんともけんかをなさっています。あなたは、わたしをあなたから引きはなす力があるのはあのお内儀さんだけだとみとめていらっしゃる。それで、お内儀さんと決裂するまで大げんかをやって、わたしを連れて橋屋を出ていかざるをえない羽目にまでもちこまれたのです。


☆決定的な時が来たのです。それにもかかわらず、あなたは言葉と闘っています。わたしをあなたから引きはなす力があるのは言葉だけだと、全ての先祖が信じているのです。仲介のハロー(死の入口)から離れることは論争もまた激昂し、辛辣になるでしょう。

ツバメ。

2015-04-13 06:55:45 | 日常
 飛来したツバメ、どこに巣を作るか迷いあぐねているのだろうか。
 三十年位前には我家の玄関先に巣を作り、二十年近く子育てをしたけれど、ある日スズメが巣を見つけて入ってからは寄り付かなくなった。
 と思っていたら、隣家に巣を作って十年ほどが経っている。

 ところが今年は、なかなか寄り付かない。もちろん傍まで来て様子を伺っている、それも日参である。何故入らないのか・・・。
 至近の電柱の傍らにムクドリが二羽、それに隣家の屋根瓦の隙間にはスズメの巣がある。これでは難しい。ツバメの気持ちになって考えてみると、確かに危険がいっぱい、躊躇しているのも無理はない。


 どうするのかな?古巣の在った我家の窓にもツバメはやってきて様子を伺っている。部屋の中に居ても鳥影がガラス窓に映るのでそれと分かる。(来てほしいけど掃除が大変)

 ツバメは毎日我家の前の電線に止まっては様子を探っている(ように見える)。

 ツバメにとって安全な巣の確保は死活問題。
 かつて衣笠十字路のバス停には幾つもの巣が屋根の下にあり、ベンチに人がたくさん座っていても平気で子育てに励んでいたけれど、三年前の某日、カラスの襲撃に遭ったらしい。襲撃後も何度もカラスは確認のためか見に来ているのを目撃している。(カラスも上から見るばかりではなく、下から覗くという技もある)
 以来、ツバメの方も巣を造りかけては(カラスが見ているから)中止、春になってツバメを見かけても淋しい限り。

 我家にツバメが来なくなってからも、毎年、我家の前に集団(5、6羽)で来て、くるくる廻り飛んで、何かを確認伝えているように見える。決して人と接触を持たないけれど、どこか懐かしく、春になると空ばかり見ている。

『冬のスケッチ』82。

2015-04-13 06:44:01 | 宮沢賢治
二九   東京の二月のごとく見ゆるなり
     腐食質のぬかるみを
     あゆみよりしとき
     停車場のガラス窓にて
     わらひしものあり
     又みじかきマント着て
     税務属も入り来たれり


☆等(平等)の教えの辞(ことば)に付き、現われる譜(代々引きつづく)続きは悉(ことごとく)呈(外にあらわれた)赦(罪や過ちを許す)定(きまり)である。
 総て幽(死者の世界)の贅(不必要なもの)/驕り)を、無くし拭う新しい記である。

『城』1936。

2015-04-13 06:28:40 | カフカ覚書
あなたは、ご自分ではお気づきでないでしょうが、最後にいよいよという時点になったときにわたしがあまり駄々をこねないようにと、いまからやっきになってわたしにクラムのことを忘れさせまいとしていらっしゃいます。


☆あなたはまったく分からないようですが、死とともに予言者に逆らうことのないように、わたしにクラム(氏族)を忘れさせまいとしているのです。

金山康喜《静物〔煙草とマッチのある静物〕》

2015-04-12 06:42:27 | 美術ノート
 淡く綺麗で幻のような画面である。白いテーブルクロスはコーヒーミルやポットに対し微妙な位置関係を提示している。物が置いてある平面としての奥行きを感じさせず、むしろカーテンか何かのように垂直とはいかないまでも斜めに揺れているような不思議な背景になっている。海、潮風、初恋の香りを感じさせる。
 にもかかわらず、煙草とマッチという大人の誘惑が、逃げれば追い追えば逃げるといった、あたかもダンスのリズムを思わせるような距離感をもって置かれている。
 これは詩といわず何と言おう。美しい旋律が流れている、切なく甘い彩色のハーモニー。

 ガラスの灰皿にはすでに吸い終わった短い煙草が三本、しかし未だ着火の気配もない煙草が一本。待っているのか諦めたのか・・・マッチとは距離がある。というか、黒いポットが阻止しているようにも見える。小粋に被せたハットは自身の擬人化か。水差しの容器であれば中には液体(水または湯)が入っていて、その注ぎ口は(点けたら、すぐに消すぞ)といつたポーズのユーモアがある。

 そのポットを思い切り押し倒すかに見える真直ぐ伸びたコーヒーミルの取っ手、しかしこのコーヒーミル、立っているのが困難なほどの薄い板状で、回す前に倒れてしまうことは必至。
 輝色のコーヒーミルは女、黒いポットは男。二人の関係の危うさ。ポットの注ぎ口は誘っているようだし、コーヒーミルの取っ手は拒否を示しているようでもある。いえ、拒否する前に倒れこむ想定の画かもしれない。

 マッチの箱は開けられ、煙草も用意されている。
 けれど、ストップ・ザ・ファイアー・・・黒いポットの自制心。緊迫の恋の状況を描いた一枚だと解釈したい。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『冬のスケッチ』81。

2015-04-12 06:27:51 | 宮沢賢治
        *
  天狗巣病にはあらねども
  あまりにしげきこずゑなり
   (光の雲と 桜の芽)
        *
  気圏かそけき霧のつぶを含みて


☆展(ひろげる)句(ことば)は双(二つ)を描いている。
 考えを運(めぐりあわせ)応(ほかのものと釣り合う)画を記し、兼ねている。
 謀(はかりごと)が眼(要)である。

『城』1935。

2015-04-12 06:19:19 | カフカ覚書
あなたは、わたしにはもう愛撫もしてくださらないし、時間さえ割いてくださらないわ。あなたは、わたしを助手たちにゆだねたきりで、嫉妬もなさらない。あなたにとってわたしの唯一の価値は、わたしがかつてクラムの愛人であったことだけです。


☆小舟に分けるということは、わたしに対するさらなる先祖の汚点なのでしょうか。わたしを脳(知力)の興奮に任せて、わたしがクラム(氏族)と不和だと、あからさまに指摘しているのです。

金山康喜《静物P〔天秤のある静物〕》

2015-04-11 06:48:23 | 美術ノート
 比較的安定し、明るい印象を与える作品である。
 吊るされた純白の電球は、垂直に立った純白の水差しと至近距離にある。一本の線、あるいは一体化しているようにさえ見える近さで怪しい緊張感を醸し出している。
 ガラスの器の中のフレッシュなレモンの鮮やかな黄色、テーブルの黄色も若干彩度を落としてはいるけれど暗さはなく、温かく柔らかいムードであり、視覚上の問題も見られない。手前の青いビンも垂直に立ち、窓らしき開口部も特別な奇異はない。しかし、開口部には閉じるべき窓としての要因に欠けている。外部は闇である。
 水差しとレモンの周囲は控えめだが赤く縁取られ、沸き立つ空気感を提示している。白い電球にもそれは微妙に伝わっているけれど、手前の青いビンと同じ彩色のブルーである。柔らかく溶け入りそうな上気したブルーとも思える。

 ところで肝心の天秤、この絵の角度では均衡を保っているように見える。しかし、天秤だけに目を凝らすと、左がわずかに下がっている。全く同じ空の容器にしか見えないが、明らかに左(片方)は重さを暗示している。
 白い水差しをよく見ると、背後に黒い蓋付きのビンが潜んでいる。これは何だろう、不安、不吉の予兆のような魔的な物体。

 この作品を、まるで二つに裂くような線、開口部の左の線と手前の青いビンの右の線はほぼ一直線である。


 天秤・・・二つを量るもの、この危うい均衡を極めて精密に、どちらともつかない、否、結論は出ているのだという風に描いている。外部の闇に通じる開口部(窓)は逃避のための空間だろうか。
 妖しく燃える恋は成就したかのように見える。しかし、この恋には深い苦悩の影が潜んでいる。もちろん、恋などとは一言も言ってはいない。そこに金山康喜のニヒルを感じる。(どうにでも見てください)と言っているような・・・。
 今の自分と将来(未来)の自分・・・他にも天秤にかけてみたい思いはあるかもしれない。

 鑑賞者の情感を烈しく揺さぶる魔力を秘めながら冷静に沈黙している。・・・金山康喜の胸を叩いてみたい、そういう作品である。(写真は神奈川県立近代美術館カタログより)

『冬のスケッチ』80。

2015-04-11 06:39:02 | 宮沢賢治
        *
  つつましく肩をすぼめし家並みに
  さかまきひかるしろのくも。
        *
  雲のしらが 光りてうづまきぬ
        *
  なまこぐものへり
  あまりにもしろびかり
  まぶしさに
  目もあかれず。


☆現われる過(あやまち)を併(ならべる)運(めぐりあわせ)の考えを黙っている。 

『城』1934。

2015-04-11 06:21:51 | カフカ覚書
お内儀さんは、そう言うのです。ですから、わたしが縉紳館の職を失ったところで、あなたにとってはどうだっていいのです。また、橋屋を出ていかなくてはならなくなっても、こんな辛い学校の小使いの仕事をさせられるような羽目になることだって、みんなどうでもよいことなのです。


☆それゆえ、わたしは無関心なのです。無言の大群のハロー(死の入口)など、どうでもいいのです。ハロー(死の入口)に見捨てられても、罪過による現場不在証明を成しえなければならないことも、みんなどうでもいいことなのです。