戸外の雨風の響は少しも衰えない。秋山は起き直って、
「それから」
「もう止そう、余り更けるから。
☆己(わたくし)の我意である。
有(存在)は普く胸(心の中)にあり、章(文章)を推しはかる。
修(整えて)算(見当をつける)奇(珍しい)自記である。
詞(言葉)は予(あらかじめ)考えてある味(内容)である。
顔もからだつきもはっきりと貧相な女は、すくなくともほかにもまだ秘密をもっているにちがいありません。たとえばクラムとの関係のように、だれにも突きとめようのない秘密をもっているにちがいありません。それで、わたしは、そのころこんなことまで考えたものですわー
☆幽霊のような体は疑いもなく惨めであるにもかかわらず、秘密があるに違いありませんが誰も調べることはできません。クラムとの関係も表向きにすぎない。ペーピはこのように考え心配したのです。
『私のためのあなた?』
奇妙なタイトルである。このタイトルが普通に成立するためには二人の存在が不可欠であるが、これはローズ・セラヴィ用に印刷されたスーツケースのラベルである。ローズ・セラヴィは、私なのか、あなたなのか判別しがたい。
?マークが付いている所以なのかもしれないが、個人名を記入すべきラベルに『私のためのあなた?』は不可解である。
代名詞…言い換えれば『あれのためのそれ』でもよく、抽象的な意味あいが強い。しかし、私という主語は個人を指す。個人の分解はあり得ないが、『フレッシュ・ウィドウ』に見る変身、闇あるいは秘密の次元での《私》は確かに表裏が一体であり(私=あなた)は離れがたく結びついた一人の人間である。
理解しがたい状況を具体的に表明したラベルは、無意味であるが、意味を所有している。(写真は右下)
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより
此処まで話して来て大津は静かにその原稿を下に置て暫時く考え込んでいた。
☆詞(言葉)の諸(もろもろ)で和(調整する)記である。
他意を新しく整えると現れる講(話)がある。
解(わかり)致(いきつかせる)のは、竄(文字や文章を入れ替えること)である。
弐(二つ)の講(話)の拠(よりどころ)である。
そして、あなたがお引きかぶりになった重荷がほかでもないフリーダであったことは、わたしの眼にあなたの行為をいやがうえにも崇高に見せました。わたしを助けだすためにフリーダを恋人になさったということは、ほとんど不可解なほど無私な犠牲であるとおもえました。だってフリーダと来たら、不美人で、年はくっていますし、やせっぽちで、髪の毛も短くて貧弱です。それに、これはあたぶんあの人の容姿とも関連しているいるのでしょうが、いつもなにかしら秘密をもっている、底意のありそうな女です。
☆重荷としてわたしの眼には強められたのです。フリーダを愛人にして、ペーピをこちらに連れてきた無私の気持ちは不可解なものでした。
フリーダは不相応な古い作り事であり、多くの人たちは近くで震え、その上、陰険な作りごとは、常にその外観にもつながっているようでした。
『お尋ね者/賞金2.000ドル」
『フレッシュ・ウィドウ』、直後に消えた男を2.000ドルを懸けて探してるというジョーク。
ローズ・セラヴィと化したデュシャンが、ローズ・セラヴィの夫(伴侶)の不明を探し出せという難題である。
彼の特徴をあげ、写真まで添付されている。明らかに写真はデュシャンその人であるが、名前や履歴に差異がある。つまりデュシャンであってデュシャンでないその人を見つけ出して逮捕せよ!という通告である。
複雑な媒介、eyes same とある。(同じ)種子に注意とは読めないだろうか、同じDNAであると。
絶対に捉えることの出来ない《わたしの中のわたし》を逮捕せよ!と言っている、具体的な条件まで捏造して・・・。
ユーモアと受け流すことの難しい不条理である。わたしの中の誰かは、決して並び立つことがないからである。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより
あの嗚咽する琵琶の音が巷の軒から軒へと漂うて勇ましげな売声や、かしましい鉄砧の音と雑ざって、別に一道の清泉が濁波の間を潜って流れるようなのを聞いていると、嬉れしそうな、浮き浮きした、面白ろそうな顔つきをしている巷の人々の心の底の糸が自然の調をかなでているように思われた、『忘れえぬ人々』の一人は即ちこの琵琶僧である」
☆冥(死後の世界)が隠れている。
備(あらかじめ用意してあるもの)を把(手につかむと)隠した講(話)がある。
兼ねたものを験(調べると)表(あらわれる)要の媒(なかだち)の章(文章)がある。
迭(ほかのものと取り換える)眼(かなめ)が隠れている。
像(形)を瞥(ちらっと見て)逸(隠れている)章(文章)を選び、諾(同意して)把(手につかみ)換(入れ替える)。
選ぶ理由は文の記にある。
普く譜(物事を系統的に書き記したもの)が綿(細く長く続く)と、吐く。
謀(はかりごと)を含む講(話)を認(見羽変えること)が腎(かなめ)である。
芯(中心となる)態(ありさま)の詞(言葉)には弐(二つ)の念(思い)がある。
帖(ノート)の詞(言葉)の謀(図りごと)を認(見分けること)が腎(要)である。
逸(隠れた)図りごとを、測(予想する)。
備(あらかじめ用意してあるもの)を把(つかむこと)が総てである。
もちろん、あなたは、わたしのことなどご存じなかったし、わたしのためにしてくださったことでもありません。しかし、だからと言って、わたしの感謝の気持ちは、すこしもそこなわれませんでした。いよいよわたしがフリーダの後釜に据えられるまえの晩ー後釜になることは、まだ本決りではありませんでしたが、ほぼ確実でしたーわたしは、何時間もあなたと話をし、あなたの耳に感謝の言葉をささやきました。
☆もちろん、あなたはわたしのことなど知らなかったし、わたしのために何かしてくださったこともありません。雇用される前の晩(小舟)は安全ではありませんでした。雇用は安全ではないが、しかしすでに非常にありそうなことだと、そう考え、あなたと時間を共にし、感謝の言葉をささやいたのです。
黒いなめし皮は光を通さず、したがって向こうは見えない。本来、窓というものは内から外、外から内に開かれるための通気口である。それがなぜ遮断されているのか、開けてはならない《禁止》の窓。しかし、なめし皮の一部には薄く亀裂の線が見える。時間だろうか・・・少し何かが動く、ひび割れ、崩壊、そして解放へと向かう予兆(しかしあまりにも僅かで動かし難い)。
四角四面、融通が利かないことの例えである。正方形のなめし皮は動かし難い観念的な社会の比喩ではないか。歪むことを許可しない・・・。
『フレッシュ・ウィドウ』は現実の死を連想させない。むしろ、高らかに歌うデビューの凱歌のようであり、木枠のブルーは《空》であり、解放をイメージさせる。
この窓を叩けよ!さすれば『フレッシュ・ウィドウ』の登場である。
しかし、閉じている、男を滅した新しい女が生まれているにもかかわらず。
ただ、この窓はそんなに簡単に開く窓ではなく、社会の正義から固く閉ざされている自由である。覆っている黒いなめし皮も、いつか劣化し、新しい自由な未来を見せるに違いない。
写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより
この道幅の狭い軒端の揃わない、しかも忙しそうな巷の光景が、この琵琶僧とこの琵琶の音とに調和しない様でしかもどこかに深い約束があるように感じられた。
☆套(おおって)伏せている胸(心の中)を兼ねた譚(話)である。
千(たくさん)の謀(はかりごと)がある講(話)である。
講(話)を継(つなぐ)備(あらかじめ用意してある)を把(つかみとる)。
総て備(あらかじめ用意してあるもの)を把(つかみとる)。
隠した帖(ノート)の話の要は化(教えみっちびくこと)の諸(もろもろ)であり、新しく訳(ある言語をほかの言語で言い換える)を測(予想し)換(入れ替える)。