続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)③

2020-05-18 07:09:15 | 美術ノート

 彼女・独身者・裸・花嫁・・・これら単語は固有名詞ではなく、決定的な焦点はない。抽象的なイメージは空想を増幅させるが、明確な答えには届かず霧消してしまう。デュシャンは思考の果てにこの無限の無為を言語と事物の破壊的な羅列によって造り得たのである。

 美しくなく、善でもない。しかし永遠の真実である《無》に近づくことを念頭に入れ、これらを配置している。

 偶然、これは最も大きな位置を占めているかもしれない。しかし、生きることは必然を模索することでもある。誕生から死への時間、制作は崩壊を予感させるトリックを組み入れている。一見確実に見えるものの小さな(しかし、決定的な)綻び・・・重心の偏り、あるいは接続の不備、回転のエネルギーの欠如、本体を隠すはずの鋳型の意味ありげな表明は笑止である・・・ヒビ(亀裂)の入った大ガラスは崩壊を予感させる。崩壊(死・消滅)への時間が鑑賞者の胸に刻まれ、現況の平安と未来の滅亡の狭間に震撼とする。
 作品の前に立つ鑑賞者は危うく身をのけぞらせて沈黙するしかないのではないか。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより


『忘れえぬ人々』148.

2020-05-18 06:51:24 | 国木田独歩

「要するに僕は絶えず人生の問題に苦しんでいながら又た自己将来の大望に圧せられて自分で苦しんでいる不幸な男である。


☆庸(一定不変)の目(ねらい/観点)は舌(言葉)である。
 忍ばせる章(文章)に悶(思いなやむ)。
 内(秘密)の句(言葉)は、幽(死者の世界)の事である。
 故に章(文章)に頼る謀(図りごと)は、往(人が死ぬ/そののち)である。
 弐(二つ)の文は句(言葉)で普く考える談(話)である。 

 

 


『城』3418。

2020-05-18 06:38:56 | カフカ覚書

そして、すべてをあきらめて、あなたのもとに走り、フリーダといっしょではけっして味わえない、世間の地位とか名誉にまったくわずわされないほんとうの愛をあなたに教えてあげようと、こころの用意をととのえていたのです。


☆総てを断念し、あなたのもとに戻り、フリーダといっしょにほんとうの愛を選び、すべての世間的な形成から独立する準備を整えていたのです。


デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)』②

2020-05-15 06:56:12 | 美術ノート

 このタイトルの単語は確かに意味をもっている、しかし意味を放棄した羅列は意味を破壊し、鑑賞者を謎の渦中に放り込んでしまう。苛立ちは否定という結論で収まるが、それ以上を追求しにくい構成である。
 言葉を言葉の集合で打ち消す。意味の分裂は縷々つながることはなく、言葉は存在し誰にも見えているが、内実を消失させるという実験である。

 作品(タイトルと作品は一体であるが)は実験的試行、現象を否定したのちの模索、答えさえ霧消する作品群の集合である。意味を探そうとすれば、意味の方が逃げていく。厳然と作品は目の前にある事実に鑑賞者は細部に目を凝らすこともあるかもしれない。
 しかしこの(大ガラス)では、それぞれが結集している。この一致は強固である。逃げも隠れもしない(大ガラス)、どこからも見え、死角がない。
 
 にもかかわらず、あるいは《さえも》と換言してもいい。さえも、見えないのである。存在しているが非存在である。見えているが見えないのである。存在の本質的な意味は崩壊・破壊・滅亡へと進む一筋の道である。
《刹那》、瞬時の現象は意図なく偶然の形象である。《有るものは無く、無いものは有る》デュシャンはこの作品の前で費やしたエネルギーの大きさを抱えひたすら沈黙したに違いない。

 花嫁(婚前の一時的な仮称)は浮上したまま性の秘密を以て彷徨うしかないが、彼女の独身者たち(母が生んだ人類)は裸に還り、原始を希求する。遥かな時間への帰還である。こういう光景もあるということにすぎないが・・・。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより


『城』3417。

2020-05-15 06:33:20 | カフカ覚書

こうして、わたしは、この地位を手に入れたら、あなたは頭を下げてわたしのところへ頼みにいらっしゃるだろう、そうなったら、わたしは、あなたの願いを聞いてあげて、この地位を棒にふるか、それとも、あなたの願いをはねつけて、さらに出世をするかのどちらかを選ばなくてはならなくなるだろう、というような夢想にふけりました。


☆あなたのことを拒絶するか、ずっと先まで上りつめるか、形勢を無にするかの選択に迷う空想に耽りました。


デュシャン『私のためのあなた?』②

2020-05-14 07:29:09 | 美術ノート

 人は一人で人であり、二人で一人などというのは比喩にすぎない。しかし、このラベルには悲痛とも思える囁きがある。
 私という存在のためにあなたがいるというのである。分解というのも違っているかもしれない、不条理な例外・・・例外ですらなく本来あるべき少数派の主張である。

 私とあなたの間に距離がない、私はあなたであり、あなたは私であるからである。この表明を明かす術がない。
 媒体として選択されたラベルというツール、小さな紙切れの中の隠された大きな秘密。
 私はわたしとして存在しているが、私の存在のためには(あなた)が不可欠である。
「ローズ・セラヴィのためのデュシャン?」である。この関係の明記は戸籍でもなく、ただの一枚のラベルに記された。複製は可能であり、流布を畏れるものでもない。性の闇は昼間は見えないが、解放は自己申告である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより

 


『忘れえぬ人々』146.

2020-05-14 07:05:35 | 国木田独歩

未だ幾らもある。北海道歌志内の鉱夫、大連湾頭の青年漁夫、番匠川の瘤のある舟子など僕が一々この原稿にあるだけを詳わしく話すなら夜が明けて了まうよ。とにかく、僕がなぜこれ等の人々を忘るることが出来ないかという、それは憶い起すからである。


☆目(ねらい)は皆(すべて)祷(いのり)である。
 化(教え導く)詞(言葉)が代える講(話)は普く諦(真理)である。
 聯(並べてつなげ)One(一つ)にし、問う。
 章(文章)の念(考え)は霊(死者の魂)を普く目(観点)としている。
 套(おおうこと)を腎(かなめ)として認(見分ける)詞(言葉)を推しはかる。
 磊(小さなことにこだわらず)憶(思いを巡らせる)記である。


『城』3416。

2020-05-14 06:52:13 | カフカ覚書

あなたがほんとうにフリーダを愛しているなんて、ありうることだろうか、あなたは、ご自分をあざむいていらっしゃるー(略)-これはだれも否定できないことですわ。それに、あなたの眼をたちまち眩惑してしまったものは、なによりもフリーダの地位と、あの人がたくみにそれに賦与した輝きだったのですからね。


☆本当にフリーダを愛するなんてことがあるでしょうか。騙しているのかもしれない。あるいはフリーダだけを騙しているのかもしれない。多分、すべてのことから起こる結果はただペーピを見たということだけかも知れない。全くのペーピの妄想ではなく、フリーダの作り話に対し、より非常に幸福な作り話であることを否定できる人はいません。フリーダの地位は光に満ち、いかなる時もフリーダはKを理解し、ぎらぎら輝いていました。


デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)』

2020-05-13 07:14:29 | 美術ノート

   『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)』

 彼女の独身者たち、独身者たちを彼女が所有することはありえない。彼女の独身者たちには実態が見えない。その見えない者たちが花嫁を裸にする・・・意味は更に分裂し、粉砕されていく。負のスパイラル、言葉には負の側面があり、観念を破壊していく力があることの証明めくタイトルである。
 しかもダメ押しのように《さえも》と続く。

 作品はこれまでの作品の集合体の配置である。
 上部のものは軽い印象で落下を余儀なくされる空気を孕んでいる。
 下部のものは設置の床面を想像できるかのように並んでいる。水車が床面を掘り下げるはずはなく床面と思われる設定はもろくも崩壊、霧消する構成である。

 全体は大ガラスの内部にあり、前後どちらに回っても視覚を自由に鑑賞者に委ねている。三次元空間を想起させるがあくまで疑似空間である。
 機能的なもの、実質生産を可能にするものはここにはない。前向きなプラン(設計)は故意に外されており、花嫁という新しい門出に似合う光景は見えず、むしろ静かな破壊の脅迫さえも感じさせている。

 この不思議に空漠とした構成はタイトルと共に世界の終わりのような空気感さえ潜ませている。まさに毅然とした《崩壊感覚》の景である。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク www.taschen.comより