昨日の帰りに寺町通りをカブで北上していると、下御霊神社のところで
何かを感じ、ヘルメットをかぶったままペコンと挨拶だけした。
これじゃ失礼にあたると、今朝きちんとお参りすることにした。
下御霊神社。
ウィキペディアより↓
祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。
吉備聖霊(吉備真備)
崇道天皇(桓武天皇の皇太子、早良親王)
伊予親王(桓武天皇の皇子)
藤原大夫人(伊予親王の母、藤原吉子)
藤原大夫(藤原広嗣)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麻呂)
火雷天神
相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。
これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した
人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。
吉備真備は野馬台詩の解読者として崇拝された。
歴史
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、
貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。
この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。
・・・およよ。
慰めたはずの怨霊が自分を呼んだのか?
何も悪いことしてませんしー。
とりあえず、二礼二拝一礼をしてお祈りした。
本殿に、この神社を修復するための寄付を募る張り紙がしてあった。
以前訪れたときから思っていたが、上御霊神社に比べてかなり廃れている。
何とかならないかと感じていたところ。
一口千円、御霊をもう一度慰めたいので、社務所へ行って納めようとしたが、
まだ閉まっていた。
今度お参りしたときに納めることにする。
・・・・・
境内を見ると大きな梅ノ木が満開だった。
末社の八幡宮、神明社、春日社に通じる道に梅の花が散っていた。
ひらひらとまだ落ちてくるので見上げるとメジロが2羽蜜を吸っていた。
残念ながら画像に収めることはできなかった。
7
八幡宮、神明社、春日社。
・・・・・
土塀や本殿、拝殿が綺麗になるのは嬉しい。
何かを感じ、ヘルメットをかぶったままペコンと挨拶だけした。
これじゃ失礼にあたると、今朝きちんとお参りすることにした。
下御霊神社。
ウィキペディアより↓
祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。
吉備聖霊(吉備真備)
崇道天皇(桓武天皇の皇太子、早良親王)
伊予親王(桓武天皇の皇子)
藤原大夫人(伊予親王の母、藤原吉子)
藤原大夫(藤原広嗣)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文屋宮田麻呂)
火雷天神
相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。
これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した
人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。
吉備真備は野馬台詩の解読者として崇拝された。
歴史
桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、
貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。
この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。
・・・およよ。
慰めたはずの怨霊が自分を呼んだのか?
何も悪いことしてませんしー。
とりあえず、二礼二拝一礼をしてお祈りした。
本殿に、この神社を修復するための寄付を募る張り紙がしてあった。
以前訪れたときから思っていたが、上御霊神社に比べてかなり廃れている。
何とかならないかと感じていたところ。
一口千円、御霊をもう一度慰めたいので、社務所へ行って納めようとしたが、
まだ閉まっていた。
今度お参りしたときに納めることにする。
・・・・・
境内を見ると大きな梅ノ木が満開だった。
末社の八幡宮、神明社、春日社に通じる道に梅の花が散っていた。
ひらひらとまだ落ちてくるので見上げるとメジロが2羽蜜を吸っていた。
残念ながら画像に収めることはできなかった。
7
八幡宮、神明社、春日社。
・・・・・
土塀や本殿、拝殿が綺麗になるのは嬉しい。