ペーパー・写・楽

ペーパークラフト、京都の写真、カブ、自転車、軽自動車で楽しんでいます。

神社めぐり 玄武神社と櫟谷七野神社

2016-03-12 19:58:47 | 神社
 今宮神社御旅所の東側の通りに玄武神社がある。

鳥居のある入り口は1箇所。


灯籠の下に玄武石鹸の文字。
調べてみると昭和初期に、京都の地で創業したゲンブ株式会社。
今でもクリーニング産業用の高品質な洗剤や助剤を作っている。
どおりで家庭用としてはあまり見なかったはずだ。




迫力ある顔つきをした狛犬さん。




手水舎の水出し口には蛇が巻きついた亀を表象した玄武の像。
ただ、撫でられすぎたのか模様が丸くなってしまっている。




京都観光Naviより
祭神として、文徳天皇の皇子である惟喬親王(これたかしんのう)を祀り、別名惟喬社(これたかのやしろ)とも呼ばれている
 社名の玄武とは、青竜、白虎、朱雀とともに王城を守る四神のひとつで、当社が平安京の北にあることから北面の守護神としてこのように名付けられたものである。
 当社の起りは、親王の外祖父にあたる紀名虎(きのなとら)が所蔵していた親王寵愛の剣を、元慶年間(877~85)に、当時この地に住んでいた星野茂光が祀ったと伝えられている。


三輪明神。


稲荷社。


絵馬。

・・・・・

玄武神社から南に下って櫟谷七野神社を目指してみた。
町中を廻ることしきり。

それらしき鳥居が見えた。
自転車を押して鳥居の近くに行くと、おばさまが出てきて「そこの木の横の細い道を行くと、神社の正面に出られますよ。狭いので気をつけてくださいね」
親切な方にお会いできました。


櫟と書いて「いちい」と読む。


鳥居をくぐって左側の階段上に本殿が見える。


賀茂斎院跡の由来と神社の由緒が書かれた冊子をいただき、本殿に100円づつお賽銭として収めた。
由緒書きには以下のことが書かれている。
社伝によれば平安時代55代文徳天皇(850年)皇后藤原明子ご懐妊の際、その安産お祈りのため、産殿の西方に大和国三笠山から春日の大神をお迎えして祈願したところ、儲君・後の清和天皇をご御平産になったと伝えられる。
 その春日大社御鎮座の場所が山城国葛野郡(かどのぐん)櫟谷(いちいだに)である。当時は櫟の森を谷川が流れていたのであろう。また、社名の「七野」とは、もと船岡山麓一帯にあった原野で、紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野(神野・神明野・萩野・御栗栖野)のこと。これら七野の惣社として祀られたと伝えられる。伊勢神宮の斎院に準じて設けられた紫野斎院が廃絶された時、その屋敷神を七神祀った社だったと言う説もある。


本殿脇には「縁戻しの神 櫟谷七野神社 社殿高砂山ご祈願」の砂が盛られていた。


賀茂斎院跡。
この地は平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂社に奉仕する斎内親王、即ち斎王が身を清めて住まわれた御所(斎院)のあった場所であり、このあたりが紫野と呼ばれていたため、『紫野斎院」とも称された。と記載されていた。


本殿から見たご神木。
クロガネモチで樹齢 500年位。




春日大神の神使である鹿の像。

場所的なわかりづらさから余計に神秘的な感じのする神社である。
コメント
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