14日の日曜日に大阪国際交流センターで、「第18回 大阪留学生音楽祭」があり、留学生から案内を貰っていたので観覧に出かけた。
オープニングは迫力ある和太鼓(常勝師弟太鼓「獅子奮迅」)で始まったのですが、正面から見て、左から二番目の奏者に目が留まった。
この奏者の動きが実にいい。
腰が安定しているので動きが非常にスムーズで、太鼓を叩く時には自然に重心のバランスが取れるように片足が上がったりする。リズムがあるので、一本足打法のような時もあれば、軽く踵が上がる時もある。
リズム感があり、全身で楽器を奏でる奏者の多くがそのような演奏をする。
楽器と一体となって曲を奏でることができる奏者の特徴であり、そのような奏者は必ずいい奏者になれる。ピアノでもギターでも、バイオリンでも、フルートでも、トランペットでも、どんな楽器でも全身を使う奏者は優秀な奏者になれる。
体を動かせばいいというものではなく、体の中から滲み出てくる動きは観衆を引き込んでしまう。
この奏者は、滲み出てきた動きで、重心は垂直にバランスを保ち、腰から足先までがスムーズに連動している。
写真は、右足が少し上がったところ。
そして、思いっきり叩く時には、自然に飛び上がって打ち鳴らしていた。
飛び上がってバチを振り下ろすことができるのは、体にメロディーが沁み込んでいなければできない。
太鼓の音は全奏者の音だが、この人の演奏は素晴らしいものだった。
この奏者がソロをするようになったら、ずば抜けた講演をする違いない。
いや、もうすでに活動しているかも知れないが・・・。
鍼灸を施す時も、これと同じことが言える。
だから、一目見ると、その人の鍼灸の腕が大体わかる。
わかりやすく言うと、あまり上手でない術者は、手先や腕だけで鍼を施そうとする。即ち術者の体が硬くなっているので、患者にまで緊張を与えて硬くしてしまい、患者に嫌な感じを与えてしまう。
これは 巨針療法 を教えていると良くわかるのだが、術者の腰や足が安定していなければ、手先にブレが出るので、鍼が「スーッ」と入らない。だから力で押し込もうとするので、余計に患者に無理をかけてしまう。
巨針は、どこを通り、どこに達するかを術者の体全体で把握する必要がある。楽器の奏者の持つ感覚と同じように、メロディーやリズムが体に沁み込んでいなければ、いい治療はできない。
それができない鍼灸師は、その辺りで断念するのだが、所詮はメロディーやリズムのような感覚と、それに合わせた腰の動きが必要なので、それができない鍼灸師は豪鍼で治療をしても同じ結果になる。一定の技術以上は伸びず、口だけが達者になりやすい。
そこに訓練というのがあるのですが、ポイントは「如何にして患者に負担をかけずに効率良く治療を進めるか」を常に考えて毎日の臨床に臨むことです。
屁理屈はいらない。
常に患者さんのことを、病気を治すことを、考えていれば、自然に出来上がってくるものです。
「こうしたら格好悪いにではないか」と考えているようでは、まだまだ路は遠い。なりふり構わず必死になって治療に専念するのが早道と思う。
この太鼓の奏者も、最初は多分格好悪いところもあっただろうが、それを通り越して本物になるのだ。
音楽祭の司会は、メキシコから関西大学へ留学したFernando Salinas(男性)さんと、内モンゴルからデジタルハリウッド大学院へ留学したEerdeng Qiqigeさんでしたが、一生懸命盛り上げようと頑張っている姿やトークが印象的でした。
何でも一生懸命にやってみる。
日本語は少々下手で当然だ。
構う必要はない。
その心が多くの人に歓迎され、多くの人に感動を与えるのだ。
トップバッターは、タイからの留学生で、「ヴァイオリン演奏&歌」
かなり緊張していたようで、全力投球はできていなかったようだ。
続いては韓国からの留学生らによるダンス「Nobody」
グループで歌いながら踊るという最近流行りの舞台だった。
留学生と言っても、彼等の中にはプロで生活をしてきた人もいる。
しかし、高校野球を観戦しているような気分にもなれるので、新鮮な気持ちで舞台を見ることができたのは、何よりも嬉しかった。
もっといろいろあるのですが、また次の機会に書きます。
オープニングは迫力ある和太鼓(常勝師弟太鼓「獅子奮迅」)で始まったのですが、正面から見て、左から二番目の奏者に目が留まった。
この奏者の動きが実にいい。
腰が安定しているので動きが非常にスムーズで、太鼓を叩く時には自然に重心のバランスが取れるように片足が上がったりする。リズムがあるので、一本足打法のような時もあれば、軽く踵が上がる時もある。
リズム感があり、全身で楽器を奏でる奏者の多くがそのような演奏をする。
楽器と一体となって曲を奏でることができる奏者の特徴であり、そのような奏者は必ずいい奏者になれる。ピアノでもギターでも、バイオリンでも、フルートでも、トランペットでも、どんな楽器でも全身を使う奏者は優秀な奏者になれる。
体を動かせばいいというものではなく、体の中から滲み出てくる動きは観衆を引き込んでしまう。
この奏者は、滲み出てきた動きで、重心は垂直にバランスを保ち、腰から足先までがスムーズに連動している。
写真は、右足が少し上がったところ。
そして、思いっきり叩く時には、自然に飛び上がって打ち鳴らしていた。
飛び上がってバチを振り下ろすことができるのは、体にメロディーが沁み込んでいなければできない。
太鼓の音は全奏者の音だが、この人の演奏は素晴らしいものだった。
この奏者がソロをするようになったら、ずば抜けた講演をする違いない。
いや、もうすでに活動しているかも知れないが・・・。
鍼灸を施す時も、これと同じことが言える。
だから、一目見ると、その人の鍼灸の腕が大体わかる。
わかりやすく言うと、あまり上手でない術者は、手先や腕だけで鍼を施そうとする。即ち術者の体が硬くなっているので、患者にまで緊張を与えて硬くしてしまい、患者に嫌な感じを与えてしまう。
これは 巨針療法 を教えていると良くわかるのだが、術者の腰や足が安定していなければ、手先にブレが出るので、鍼が「スーッ」と入らない。だから力で押し込もうとするので、余計に患者に無理をかけてしまう。
巨針は、どこを通り、どこに達するかを術者の体全体で把握する必要がある。楽器の奏者の持つ感覚と同じように、メロディーやリズムが体に沁み込んでいなければ、いい治療はできない。
それができない鍼灸師は、その辺りで断念するのだが、所詮はメロディーやリズムのような感覚と、それに合わせた腰の動きが必要なので、それができない鍼灸師は豪鍼で治療をしても同じ結果になる。一定の技術以上は伸びず、口だけが達者になりやすい。
そこに訓練というのがあるのですが、ポイントは「如何にして患者に負担をかけずに効率良く治療を進めるか」を常に考えて毎日の臨床に臨むことです。
屁理屈はいらない。
常に患者さんのことを、病気を治すことを、考えていれば、自然に出来上がってくるものです。
「こうしたら格好悪いにではないか」と考えているようでは、まだまだ路は遠い。なりふり構わず必死になって治療に専念するのが早道と思う。
この太鼓の奏者も、最初は多分格好悪いところもあっただろうが、それを通り越して本物になるのだ。
音楽祭の司会は、メキシコから関西大学へ留学したFernando Salinas(男性)さんと、内モンゴルからデジタルハリウッド大学院へ留学したEerdeng Qiqigeさんでしたが、一生懸命盛り上げようと頑張っている姿やトークが印象的でした。
何でも一生懸命にやってみる。
日本語は少々下手で当然だ。
構う必要はない。
その心が多くの人に歓迎され、多くの人に感動を与えるのだ。
トップバッターは、タイからの留学生で、「ヴァイオリン演奏&歌」
かなり緊張していたようで、全力投球はできていなかったようだ。
続いては韓国からの留学生らによるダンス「Nobody」
グループで歌いながら踊るという最近流行りの舞台だった。
留学生と言っても、彼等の中にはプロで生活をしてきた人もいる。
しかし、高校野球を観戦しているような気分にもなれるので、新鮮な気持ちで舞台を見ることができたのは、何よりも嬉しかった。
もっといろいろあるのですが、また次の機会に書きます。