「江戸時代の天皇と庶民」:森田登代子氏講演会
江嵜企画代表・Ken
森田登代子さん(大阪樟蔭女子大学非常勤講師)から、「江戸時代の天皇と庶民」と題して、「宮水学園」で講演するが、時間があればいかがですかとお誘いを受けたので家族同伴で出かけた。
「宮水学園」は西宮市生涯学習大学の集まりである。会場の西宮市立「教育会館」にはJR西宮駅からタクシーで10分足らずで着いた。講演開始の10時前には、ほぼ満席で、いつものように会場の様子をスケッチした。
天皇の即位には受禅(生前譲位)と賎祚(死後)がある。江戸時代14人の天皇がおられる。受禅8、賎祚4、両方が2となっている。天皇は亡くなってはじめて即位されるものとばかり恥ずかしながら思い込んでいたから驚いた。
天皇の即位には「大誉会」と「即位式」があり、大誉会は秘儀(夜行われる)、即位式は見せるもので昼間行われた。「即位式には庶民が見物した。庶民は見物しないというのも完全な思い込みです。明正天皇以降、一枚物の即位式の絵図に庶民の姿が描かれていないことが影響したかもしれない。」と森田さんは話された。
会場に歴史資料として、東山天皇(113代1687年即位・大誉会),桜町天皇(115代、1735年即位・大誉会)の即位式の様子やその他多数の絵図が会場で閲覧できた。「手で触ってどうぞご覧ください。触って確かめないと分からないものです」と森田さんは話された。
即位式の様子を見ると、正装の者、子供連れ、式場で授乳する様などリアルに描かれている。奉行所が高札告知した「町触れ」には、女200人、男100人と人数を制限、あらかじめ「切手札」(観覧券)を渡した旨を書いた文献史料を森田さんは会場で、ゆっくりと読み上げながら解説された。
女が200人で男が100人はなぜかと質問があった。森田さんは、当時、行儀見習いの女性が結構多くいたからではないかと説明された。僧侶や足の不自由な人は入れなかったという記録も残っている。煙と音もだめだった。
江戸時代の天皇に女帝が二人おられる。109代の明正天皇(即位1630年)、後桜町天皇(即位1763年)である。108代の後水尾天皇は16歳で即位され在位18年間で女帝、明正天皇に譲られた。84歳でなくなっておられる。生前退位されて院政を欲しいままにされたのかもしれない。
116代の桃園天皇は1762年に在位16年で亡くなり、翌1763年に女帝、後桜町天皇が即位された。万世一系にはいろいろな見方がある。女帝はありえないということでも必ずしもなかったことだけは確かなようだ。
女帝の装束は男帝と違い白衣、無紋である。後桜町天皇は遊女の髪形をしている。これは遊女から取り入れたのではないか。儀式のしぐさの錬歩は、逆に花魁道中で見られる。ファッションのようにとり入れたのかもしれないと森田さんは解釈されたが大変興味深く聞いた。
自分は女だからということもあるがと、前置きして「日常生活から新しいことが発見される。みなさんもどんどん身近な生活や経験からいろいろな物を取り入れて欲しい」と森田さんは講演を結ばれた。
学者であり研究者の身でありながら、特に日本の学者に見られる偏狭かつ傲慢なところが一切ない。分かりやすく、一般庶民と言うか、生活者の目線が貫かれている。森田登代子さんの話を聞くのはまだ二度目だが、機会があれば是非また拝聴したいと思う次第である。(了)