『日本人の死生観と無常観」at神戸国際大学:島薗進先生大いに語る
江嵜企画代表・Ken
『日本人の死生観と無常観』と題して、島薗進、グリーフケア研究所所長の講演会
が10月31日、午後1時30分から、神戸国際大学であり楽しみにして出かけた。開演15
分前に会場に着き、恒例によりスケッチした。演題からみてさすがに若い人の姿はな
かった。老夫婦だろう、お二人並んで講演を待つ姿を多く見かけた。
島先生の話は、ほぼ4年半前の東日本大震災後、僧侶5人が、亡くなった人たちのた
めに読経する様子を驚きの気持ちで伝えた外国通信社の記事からはじまった。20年前
の阪神・淡路大震災のときは、被災者とともに救援活動に参加したが、読経の機会は
なかったという。「務めを果たせた」「葬儀が出来て、むしろ恵まれている」と僧侶
が
語ったと伝える現地、河北新報社の記事を併せ紹介した。
「日本人の死生観と無常観」は「色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の
奥山今日超えて浅き夢見し酔いもせず」に出ていると、島先生は話を進めた。「日本
仏教と無常観」は鴨長明の『方丈記』の「ゆく河のながれはたえずして,しかももと
の水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむすびて、ひさしくとどまる
ことなし。」に出ていると続けた。
唐木順三の『無常』に「日本人の心情の深いところに、無常を思う時、日本人の心
の琴線は、かなしくもあやしき音を立てる」と書いた。橋本峰雄『うき世の思想』に
「室町時代から江戸時代にかけて、憂き世から浮き世へ「うき世」観が転換した。
「明恵上人伝記『明恵上人集』に「父母に遅れたること、朝暮に思ひ忘るる時なし。
犬・鳥を見ても、我が父母にてや有るらんと思いて、即ち立ち帰りて拝む」とある
と島先生は紹介した。
話は小林一茶(1763~1827)へ飛ぶ。一茶は悲しみに耐えて生きる「うき世」を詠ん
だ俳人である。北信、柏原の農家に生まれる。2歳で母死亡。継母には男の子がい
た。母を失って生きていかなくてはならないかなしみを多く詠んだ。そのひとつが
「我と来て遊べや親のない雀」。徘諧師としての厳しい生活を「春立つや四十三年人
の飯」と詠んだ。
一茶は、貧しさ、逞しさ、素朴な生の美しさを詠んだ。死の現実と快楽に耽る人間を
「死支度致せ致せと桜哉」と詠んだ。宋左近「小林一茶」(集英社新書)で「春雨や
喰われ残りの鴨が鳴く」、「初雪や今に煮らるる豚遊ぶ」と詠んだ。『喰われ残りの
鴨』、『今に煮らるる豚』にわが身だという自覚があった。それを表現したのはおそ
らく一茶が初めてです。」「鴨や豚の殺人者であると同時に、同じに被害者であるお
のれ。一茶にまぎれもない近代人の誕生を見ます。芭蕉や蕪村に見ることが出来な
かった特性だ。」と書いたと島先生は紹介した。一茶は『おらが春』の結びに「別に
小難しき仔細は不存候。」と書き「ともかくもあなた任せの年の暮」と詠んだ。
「蝶とぶやこの世に望みないように」という句を詠んだ。「是がまあつひの栖か雪五
尺」は悟りの境地かと島先生は講演を終えた。
講演のあと、ある男性が手を上げ「一茶は「現世利益」か「来世浄土」か、気にな
る
と質問した。島先生は「現世利益ではダメだったのではないか」と答えた。「いろん
なお葬式を見てきた。今の若い人は本当のお念仏を理解しているのか。」と続けて聞
いた。島先生は「形とか分かるわからないではないと思う。お葬式で手を合わせてい
ると、私は、気持ちが落ち着く。仏教の役割をこれからも自分なりに考えなくてはな
らなくなってきた。」と答えて、お開きとなった。(了)