「王朝文学に描かれた「神戸」:田中まき、神戸松陰土曜講座
江嵜企画代表・Ken
「王朝文学に描かれた「神戸」~「伊勢物語」「源氏物語」中心に~」と題して、
11月7日、午前10時40分から,田中まき、神戸松陰女子学院大学教授による公開講座が
開かれ楽しみにして出かけた。講座開始15分前に会場に着いた。恒例によりスケッチ
を始めたが、この日は大勢のご婦人にまじって結構男性の姿が目立った。
田中先生は『平安時代の物語は本文を読むだけでなく絵とともに楽しまれるもので
した」という言葉で話を始めた。プロジエクターに『伊勢物語』第八十七段、「芦屋
の里」絵巻が写された。第八十七段は「昔、男(注:在原業平),津の国、莵原の郡、
芦屋の里に住みけり」という言葉にはじまる。「津の国、莵原の郡」は、西端が現在
フラワー道路、昔生田川だった場所から東端は芦屋市一帯を指す。「伊勢物語」は
「芦の里の灘の塩焼き」と続く。塩焼きは塩を焼く海女のことで、製塩に従事してい
た。山陽電鉄沿線に「塩屋」という駅が今もある。田中先生は「伊勢物語」絵
巻に描かれた塩焼き小屋の絵を指差した。
今では芦屋といううとお金持ちの町のイメージが強い。平安時代では、芦屋の里
は、文字通り蘆が繁る都びとから見れば海辺に面した田舎だったことが絵巻に表され
ている。プロジェクターは嵯峨本「伊勢物語」の絵巻「布引の滝」に変わる。「布引
の滝」は、現在もJR新神戸駅裏にある。神戸名所のひとつである。しかし、平安時
代、「布引の滝」は歌や絵巻物にしばしば登場する、現代をはるかにしのぐ有数の名
所だった。
「伊勢物語」第八十七段に戻す。「この男のこのかみ(注;兄、在原行平)も衛府
の督(注:宮中の護衛などを司る役所の長官)なりけり。その家の前の海のほとりに
遊びありきて、「いざ、この山の上にありという布引の滝見にのぼりて見るに、その
滝、物より異なり。長さ二十丈(約60M)(中略)さる滝の上に円座の大きさしてさし
出でたる石あり。その石の上に走りかかる水は,小柑子(注:みかん)、栗の大きさ
にてこぼれ落つ」と書いている。
「布引の滝」の壮大さを詠んだ歌が紹介された。新古今集に「水上の空に見ゆるは
白雲のたつにまがえる布引の滝」と藤原師通が詠んだ。絵巻ではアメリカミネアポリ
ス美術館蔵の俵屋宗達『伊勢物語』「布引の滝」や東京国立博物館蔵の住吉如慶の絵
巻の「布引の滝」が映像で紹介された。現在の「布引の滝」は水量が少なく、昔の面
影は今は正直ない。「源氏物語」絵巻には須磨の巻の様子が、土佐光起の屏風絵、源
氏物語かるた、宗達派の描いた扇面屏風絵に描かれていると同じくプロジェクターに
写しだされた。
12時10分に教室終了を知らせるチャイムが鳴った。「紫式部は、光源氏の須磨での
生活を生き生きと描写しています」と話しかけたが、「いろいろお話したいことが沢
山ありますが時間がありません。」と田中先生は残念そうに話された。
「芦屋には在原の業平の父、阿保親王のものと伝えられる御陵もある。業平町という
名前がそのまま今も残っている。芦屋、布引の滝、須磨に時間があれば改めて、是
非、足を運んでほしい。そして平安時代のロマンをしのんでいただければ嬉しいです」
と田中先生は話して土曜講座はお開きとなった。(了)