ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

住吉宮町遺跡第56次調査説明会風景(スケッチ&コメント)

2021-04-25 21:48:39 | スケッチ



画・江嵜 健一郎



自宅マンションの東側、道一つ隔てたところに住吉宮町遺跡がある。4月24日(土)午後1時~3時に開かれた第56次調査は保育園の園舎増築に先立って行われたと説明会で配布された資料にあった。

今回の発掘場所はほぼ2年前に閉鎖となった旧神戸市立住吉幼稚園の中庭に当たる。年初からブルドーザーが入り工事が始まっていたが、うかつにも説明会の日時を知らず、ぎりぎりのタイミングだったが間に合い、現場をスケッチ出来たことはラッキーだった。調査が終われば全て埋め戻されお目にかかれませんと工事現場の係の人が話していた。

配布資料によれば今回、2基の古墳が発見された。スケッチ右の一基が円墳である。前方後円墳もしくは帆立て形古墳の可能性もあると記載されていた。円墳であれば初めてのケースとなる。

スケッチ左は方墳である。方墳のそばに竪穴建物や堀立柱建物が見つかっている。その他鉄製品,土器が複数見つかった。

配布資料によれば円墳であれば直径18mに復元できる。墳丘は2段に構築され斜面前面に葺石が施されている。古墳の周囲は幅4.5m、深さ1.2mの周溝に囲まれている。

古墳製造からほどない時に押し寄せた洪水に飲まれ砂の下に埋まってしまった。7世紀までの洪水によって覆われたため残りの良い状態で見つかった。

墳頂部は周溝の外側よりも高くなっている。周溝を掘り下げ同時に2段目の途中までを削り出し、最終的に土を盛って古墳を高くした。古墳の形を円形に整えるためと考えられる。周溝を埋めた洪水砂から見つかった土器が五世紀前半の物であることからそれ以前にいつくられた古墳だと考えられる。埋葬施設は不明であるが今後の調査で確かめていく。現地調査は5月31日までと神戸市広報に出ていた。

住吉宮町遺跡は、JR住吉駅周辺の東西約800m,南北約500mの範囲に広がる遺跡である。六甲山から流れる住吉川と石屋川によって形成された扇状地上に立地している。これまでの調査によって弥生時代から室町時代までの長い間にわたって人々が住み続けた集落だったことが分かっている。

これまで80基以上の古墳が密集した状態で発見されている。第28次調査ではJR住吉駅北側傍で発見された坊ケ塚古墳や第9次調査のJR住吉駅南そばの住吉東古墳は、この古墳群をつくった集団の首長の墓と考えられている。

神戸は昭和13年(1938)7月に住吉川が氾濫し大被害を受けた。JR住吉駅南には花壇とともに発掘調査で出土した埴輪などが展示されておりひと時の憩いの場所となっている。

出来たばかりの古墳が住吉川の洪水に一気に飲みこまれ7世紀まで埋まっていたため今回の調査でほぼそのままの形で発見された。五世紀までさかのぼる有数の古墳群のあった場所に囲まれて今生活していると思うと誠に感慨深い。(了)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする