
画・江嵜 健一郎
バラの花が今年も元気に咲きました。例年より溌剌としてように感じる。スケッチしていると花が喜んでいることがビンビン伝わるから不思議である。絵心を大いに刺激され一気に鉛筆を走らせ、家に持ち帰って彩色した。
例年アブラムシがつくが今年はいまのところ見かけない。バラの木は南天とむくげが更地の北西の角にほぼ同居している。園芸はずぶの素人であるが、下草を取り、足元の葉を切り落として風通しを良くしている。
お礼肥やしを秋にやる。他にこれといった世話はやらない。水もやらない。というより更地には水道がないのでやれないと言うことを以前も当欄で書いた記憶がある。
花たちも自分ひとりで生きていくと決めているに違いない。ただ、最近のはやり言葉で言えば、南天、むくげの間のソーシアルディスタンスは取ってやるようには心がけている。
毛虫はバラにはつきものである。スケッチをしながら2匹見つけた。毛虫がバラの葉をまるごと食べつくすという話がヤフーのブログに出ていた。
彼らか彼女か知らないがバラの木の足元に落ちた毛虫の行動をしゃがみこんで夢中になって観察していたとき、通りがかりのさるご婦人が「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。
外から見れば臥せっているように見えたのかもしれない。自分では結構若いつもりでも外目からは見るからに貧弱な高齢者である。「ありがとうございます。今、毛虫見てました。大丈夫です。」と答えると「ああ、よかった」と素晴らしい笑顔を残して去って行った。
幅2メートルほどの狭い道をへだててミニコンビニがある。以前にも当欄で紹介したことがあるが「毎年、金木犀を楽しませてもらっているのよ」と声をかけてくれたご婦人とこの日も目があった。
彼女はコンビニで仕事をしているがタバコを一服つける時だけ外に出て来ることが最近分かった。「コロナは大変なことになってきましたなあ」とこちらから声をかけたら「いろいろ人間が勝手な振る舞いをするので神様がお怒りなんよ。自分自身でしっかり生きていけばいいのよ。私は大丈夫。」と一言残して店に戻った。印象に強く残った。
花を描いていると元気をもらえる。道行くひとが声をかけてくれるのも嬉しい。今の日本で何が寂しいことかと問えば、お互いが声かけしなくなったことだと思う。
ソーシアルディスタンスとかフイジカルディスタンスとか妙な英語が我がもの顔で闊歩するようになり輪をかけて世の中が殺伐としてきた。コロナ終息が一日も早く訪れる日が待たれてならない。(了)