ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

6月25日の臨床実践塾:「お客さんを集める方法の実際」

2023-06-20 10:56:12 | 診断即治療と虹彩学
散歩やシャワーなどの適度な刺激は創造的な発想が生まれる


きのうはSBI大学のセミナーがあり、想像力を高める方法などの話を聞いてきました。
その中で、適度な刺激や瞑想などは想像力を高めるというお話がありました。
現在は、そういうことまで科学的に説明される時代なんですねー。

最近のネットをみていますと、「集客」に必死になっている治療院も多いようです。
それは、ある意味「準備ができてないから」ではないかと思います。
「突然のコロナだったので仕方がない」と考えている人は多いと思います。

しかし、コロナでなくても準備ができてないと、今後も何かがあると同じようなことが起こるはずです。
きのうは、「自動集客」についてちょっと書きましたが、仮に「同じような方法で集客」をやっている同業者がいたらどうしたらいいでしょうか。

いわゆる競合に対しての対処です。

たとえば、セミナーでの集客を考えてみましょう。
セミナーの集客で競合に勝つためには、以下の方法を検討してみる必要があるかも知れません。

① 競合との差別化を図るために、セミナーの独自の価値を明確にします。
私は「七星論」という「日本発の東洋医学理論」と言われた武器がありますので、価値観を明確にするにはそんなに苦労しませんでした。
参加者にとってのメリットや学びを具体的に伝えることが重要になるので、他のセミナーと比較して、なぜ私のセミナーに参加すべきかを示すわけです。

② セミナーの対象となるターゲットオーディエンスをよく理解し、その方々のニーズや関心事を把握し、それに合わせたプログラムや情報を提供することが重要です。
たとえば、当院のセミナーだと、医師、開業鍼灸師がほとんどですので、それなりに納得する「特殊鍼法」が好まれ、この2~3年は「特殊鍼法」をメインにセミナーをしてきました。

③ 治療関係でなくても、競合の多い技術的な業種なら、効果的なマーケティング戦略を立てたらいいと思います。
オンライン広告、ソーシャルメディア、メールマーケティング、ウェブサイトなど、複数のマーケティングチャネルを活用するわけです。
そのとき、ターゲットオーディエンスが利用する可能性の高いチャネルに焦点を当て、効果的なコンテンツを提供して集客を促すわけです。
現在は「TikTok 」も流行っていますが、患者さんを集めるには、少しゆっくりした内容のわかるメディアを使うほうが賢明かと思います。
理由は、患者さんはスピードの速い動画を観るのが辛いからです。

④ 業界関係者やインフルエンサーなど、セミナーに関連する人々とのネットワーキングの活用も考えてみます。
パートナーシップを結ぶ、ゲストスピーカーを招待する、共同プロモーションを行うなど、相互に利益を得られる関係を築くことで、集客につながる可能性があるからです。

⑤ 過去の参加者からの、良い口コミやレビューを積極的に収集し、セミナーの価値や品質を証明できるようにします。
口コミは信頼性の高い情報源ですので、新たな参加者を引き付けるのに役立ちます。
そして、参加者に対してフィードバックを求め、そのフィードバックを改善点に反映させることも重要だと思います。

⑥ ちょっと強引なイメージになるので私にはできませんが、「早期登録特典」や「割引特典」を提供する方法も有効だと言われています。

但し注意点があります。
「フェイク」や「極端にオーバーな表現」はしないことです。
私が発表するテクニックは、自分で試し、スタッフで試し、それから徐々に患者さんに使うようにしています。

今度の臨床実践塾ではそのようなお話もします。
きっと自院の発展になると思います。

臨床実践塾
日時:6月25日(日)午後1時~3時
場所:新城針灸治療院
時間:午後1時~3時
参加費:10.000円
申込み:メール:shinjo36アットマークsunny.ocn.ne.jp
        または06-6765-7622に電話で申し込み


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秦森康屯と西宮ゆかりの作家たち、1950年代~1990年代」、講師:枝松亜子氏:西宮文化協会6月行事(スケッチ&コメント)

2023-06-20 09:40:22 | スケッチ

画・江嵜 健一郎


「秦森康屯と西宮ゆかりの作家たち、1950年代~1990年代」と題して令和5年6月12日(月)、午後1時30分から講師、枝松亜子、西宮市大谷記念美術館学芸課長の講演があり楽しみに出かけた。会場の様子をスケッチした。

堀口陽光当会副会長より「絵心がなく秦森康屯画伯の絵は存じ上げなかったが鳴尾中学で美術の先生に見せてもらった時、「ちょっと違う絵だな」という印象が残っている。同時代の西宮ゆかりの作家の絵も紹介いただけるので楽しみにしている」と冒頭挨拶した。「西宮市文教住宅都市宣言60周年を記念して西宮市大谷記念美術館で、今年4月1日から5月21日期間「生誕100年秦森康屯展」が開かれた。20年前、2003年に「孤高と情熱の画家 秦森康屯展」を開催、大きく取り上げられた。本日の講師の枝松亜子氏は30年以上西宮市大谷記念美術館で勤務、今年課長に就任した。様々な展覧会に関った。西宮で活躍した作家の話を楽しみにしていただければありがたい」と当会理事、西宮市大谷記念美術館館長、森田正樹氏が挨拶した。

秦森康屯略譜(1)を会場正面に映した。秦森画伯は1923年広島県で生まれた。1943年画家を志し中之島研究所に入所した。1958年、関西在住の独立展出品作家6人と「鉄鶏会」結成までの35年である。
次に略譜(2)を映した。1959年10回西宮市長賞受賞にはじまり1944年71歳で逝去した35年である。秦森康屯は1962年甲陽園に居を構えた。終生この地で生活した。」と枝松亜子氏は話をはじめた。

秦森康屯の作品が年代を追って会場正面に紹介された。枝松氏は「戦争が終わりアメリカでは大量生産時代に入る。日本は戦後復興時代に入る。時代の変遷に伴い絵が変化していった。1960年代に入ると画家はより自由で多彩になった。1970年代では観念的な傾向へ移る。厚塗りが薄塗りになりすっきりした印象になる」と話しを続けた。

秦森康屯の1953年の「猫の絵」が映された。「まだ試行錯誤していた」と解説した。1960年「日本海」が紹介された。「抽象から具象への転機になる絵かもしれない」と説明した。1966年「足摺岬」の絵が映された。巨岩に波しぶきが激しく飛び散る様が画面いっぱいに映された。強く印象に残った。「50年代の絵と比べると明らかに変わった。」と解説した。1984年の「立つ女」は裸婦を描いた。支援していた住友病院院長が所有している。

西宮ゆかりの作家の絵と解説が青山政吉(1920~1994)からはじまった。「万葉集から取材した絵を紹介した。「のどかな作品が多い」と解説した。伊藤慶之介(1897~1984)は「多くの作品を残している。」今竹七郎(1905~2005)は「1905年神戸生まれ。生活の中心が西宮だった。完成度の高い作品が多い」

須田剋太(1905~1990)は「抽象画を描いていた。具象画を描いても須田剋太だと分る。」と話した。桜の幹を絵の中心に置き、空を桜がまるで自ら見上げる構図の絵が画面に映された。私事ながら須田剋太先生に幸いにも甲陽学院中学1年のとき1年間だけだったが、美術の時間に受けた印象が今も鮮明に残っている。

辻愛造(1895~1964)では1956年の「灯台の家」が紹介された。津高和一(1911~1995)と続き、土岐国彦(1907~1985)は1972年「若草山」が紹介された。松井正(1906~1993)は広島生まれだが西宮で活躍した。「肉屋」の絵が映された。松谷武判(1937~)は1982年「黒の世界」、村上三郎(1925~1996),本永定正(1922~2011)と続き、渡辺一郎(1912~1988)は「働く人や道具に関心があった。」と説明した。秦森康屯と長年親交があった彫刻家の荒木高子(1921~2004)の1985年、彫刻「砂の聖書」、彫刻家、山口牧生(1927~2001)の作品が最後に紹介された。「こんなひとも西宮にいるんだなあと知っていただいたらと思い説明させていただいた。」と枝松亜子氏は講演を終えられた。

貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。(了)


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