高島屋京都店6階美術画廊で開催されている『目展』の
ギャラリートークで日本画家の森田りえ子さんが同じく
日本画家の畠中さんとお話しされるとご本人からお聞きしたので
取るものとりあえず会場に駆けつけた。
難波高島屋の日本画教室を猪熊佳子先生に譲られたのは
今年の3月末である。月日のたつのは早いもので今回9ヶ月ぶりに
お会いしたことになる。ぴたっと決めた洋装のファッションは
いつもながらであったが元気そうだったので何よりだった。
いつもどうり出品作品をひとつひとつお二人で感想を述べられるが
プロがプロの作品を御自身の主観を大いに入れながら述べられる
のを聞くのは素人としてもはなはだ興味深い。
森田りえ子画:『王禅寺丸柿樹』
王禅寺とは知るひとぞ知る名前らしいが、はじめ難波高島屋での『目展』で
この絵を拝見したときは恥ずかしながら全く知見がなかった。
同じ絵を高島屋京都店で再度しみじみ眺めた。
ご縁というのは不思議なものである。たまたま現在神戸東灘区の
同じマンションにお住まいのご婦人のOさんが森田画伯の絵を見て画いた
小生のスケッチをみて目からウロコだったというのである。
ご本人が今の神戸に来られる前の20数年前までは神奈川県川崎市にある
王禅寺のそばに住んでおられた。王禅寺柿といえば昔甘い柿
として全国的に知られた柿の有名ブランドだったとOさんから聞いていた。
森田りえ子先生の話に戻す。
今年、その王禅時の和尚さんからお寺の境内の柿の木を描いてほしいと
森田先生に電話があった。それで柿の木を見に行った。お寺さんははじめ
30号の絵を求められた。
柿の木を見たとたん、木の形にまず感銘を受けた。
樹齢800年いや900年以上かもしれない。
木がオブジェのように入れ込んだ形になっている。
作られた形でない。自然が作った形だとそのとき思った。
お寺は長年、丹精をこめてこの柿の木を育てたのであろう。
そして下草に目がいった。マンリョウの実とか様々な下草が
目に止まった。柿が下草を育てた。下草が枯れて
栄養を柿に与えた。植物連鎖だ。下草が柿を育てたんだと感動しながら
この絵を描いた。
最後に画きながら根っこの下を想像していただけるような絵に
したかったと話を結ばれた。
森田りえ子さんは人物画にも造詣が深いが、花の絵を描けば
右に出る人は少ないというように、花の画家としても
つとに有名である。
森田りえ子さんから聞いた話だが、花を描くとき花は表から描かないで
中から描けばいいんだと気がついてから花の絵が描けるようになったという。
また森田りえ子さんは、花は当然大事だが葉を画くことを花以上に
大切にしていると話されたことがある。
本日の話では、木を描くが木の下に根がある。根っこのところまで
想像して自分はこの絵を画いた。そこを見て欲しいとまた新たなる貴重な
シグナルを送られた。
一方、画家でありながら僧籍にも身を置く畠中先生ならではの
話も聞くことができた。
畠中さんは来年還暦を迎えられるのだそうだ。周りになくなる
仲間が増えてきた。人はいずれ死ぬ身である。
なぜ大作を描くのかと問われる。体力、気力がなければ
大作は描けないからだと話された。
森田りえ子さんは王禅寺の柿の絵をとうして
植物連鎖に思いをはせられた。畠中さんは人の命に
限りがあることを話された。
人間は自分だけで生きているようで、その実生かされている。
頂き物の命を日々大切に生きていきたいとの思いを新にして、
会場を後にした次第である。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
ギャラリートークで日本画家の森田りえ子さんが同じく
日本画家の畠中さんとお話しされるとご本人からお聞きしたので
取るものとりあえず会場に駆けつけた。
難波高島屋の日本画教室を猪熊佳子先生に譲られたのは
今年の3月末である。月日のたつのは早いもので今回9ヶ月ぶりに
お会いしたことになる。ぴたっと決めた洋装のファッションは
いつもながらであったが元気そうだったので何よりだった。
いつもどうり出品作品をひとつひとつお二人で感想を述べられるが
プロがプロの作品を御自身の主観を大いに入れながら述べられる
のを聞くのは素人としてもはなはだ興味深い。
森田りえ子画:『王禅寺丸柿樹』
王禅寺とは知るひとぞ知る名前らしいが、はじめ難波高島屋での『目展』で
この絵を拝見したときは恥ずかしながら全く知見がなかった。
同じ絵を高島屋京都店で再度しみじみ眺めた。
ご縁というのは不思議なものである。たまたま現在神戸東灘区の
同じマンションにお住まいのご婦人のOさんが森田画伯の絵を見て画いた
小生のスケッチをみて目からウロコだったというのである。
ご本人が今の神戸に来られる前の20数年前までは神奈川県川崎市にある
王禅寺のそばに住んでおられた。王禅寺柿といえば昔甘い柿
として全国的に知られた柿の有名ブランドだったとOさんから聞いていた。
森田りえ子先生の話に戻す。
今年、その王禅時の和尚さんからお寺の境内の柿の木を描いてほしいと
森田先生に電話があった。それで柿の木を見に行った。お寺さんははじめ
30号の絵を求められた。
柿の木を見たとたん、木の形にまず感銘を受けた。
樹齢800年いや900年以上かもしれない。
木がオブジェのように入れ込んだ形になっている。
作られた形でない。自然が作った形だとそのとき思った。
お寺は長年、丹精をこめてこの柿の木を育てたのであろう。
そして下草に目がいった。マンリョウの実とか様々な下草が
目に止まった。柿が下草を育てた。下草が枯れて
栄養を柿に与えた。植物連鎖だ。下草が柿を育てたんだと感動しながら
この絵を描いた。
最後に画きながら根っこの下を想像していただけるような絵に
したかったと話を結ばれた。
森田りえ子さんは人物画にも造詣が深いが、花の絵を描けば
右に出る人は少ないというように、花の画家としても
つとに有名である。
森田りえ子さんから聞いた話だが、花を描くとき花は表から描かないで
中から描けばいいんだと気がついてから花の絵が描けるようになったという。
また森田りえ子さんは、花は当然大事だが葉を画くことを花以上に
大切にしていると話されたことがある。
本日の話では、木を描くが木の下に根がある。根っこのところまで
想像して自分はこの絵を画いた。そこを見て欲しいとまた新たなる貴重な
シグナルを送られた。
一方、画家でありながら僧籍にも身を置く畠中先生ならではの
話も聞くことができた。
畠中さんは来年還暦を迎えられるのだそうだ。周りになくなる
仲間が増えてきた。人はいずれ死ぬ身である。
なぜ大作を描くのかと問われる。体力、気力がなければ
大作は描けないからだと話された。
森田りえ子さんは王禅寺の柿の絵をとうして
植物連鎖に思いをはせられた。畠中さんは人の命に
限りがあることを話された。
人間は自分だけで生きているようで、その実生かされている。
頂き物の命を日々大切に生きていきたいとの思いを新にして、
会場を後にした次第である。(了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)