思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

<平面的な形式論理>から<立体的な弁証法的論理>へ至るには?

2010-12-08 | 恋知(哲学)

ニュートン的宇宙観は、空間は同じ大きさを保ち、時間は一様に流れるとする「静止した宇宙モデル」ですが、現代の宇宙観は、ビッグバンに始まる「動的宇宙モデル」です。

論理といえば、アリストテレスの「形式論理学」が有名ですが、これは、ニュートンの「静止した宇宙モデル」と同じで、AはAでありBではないというものですが、この論理は、一定の時間内で、一つの視点から見るという条件であれば、当然「正しい」のです。

しかし、視点を変えてみると、Aは必ずしもAとは言えず、また、時間を考慮にいれると、AはいつまでもAであるとは言えないことが分かります。
とりわけ、人間や社会の問題を考えるときは、一つの視点だけで見、判断することはできず、また、事象は時間の経過と共に変化していきますので、形式論理の枠内で考えると、言語上は明晰でも、非現実的な判断・結語となります。
また、量の大小は質の違いを生みますし、場の違いも対象の性質を変えますので、この点にも留意しないといけません。

(1)事象を、時間的変化を意識し、生成・発展するものとして見ること、
(2)いくつもの視点から見て、だんだんと認識内容を豊かにしていくこと。
(3)量質転化を自覚し、場の相違も考慮しなければならないこと。
思考・論理は、この三点を絶えず意識しなければ、現実において有用な内容をもちません。

ほんとうに論理的に考えるとは、現実・実際を「形式論理」の中に閉じ込めることではなく、文字言語が陥りがちな平面的明晰さを超えて、事象を立体視する営みです。日々の現実の中で、問題意識をもち現状打開的に生きないと、論理は必ず平面化して、形式論理に陥っていきます。

生々しいビビッドな現実感覚を持つことが、生きた立体的論理・弁証法的論理に至る条件です。優れた論理的思考の基盤は、生活世界における鋭敏な感覚・生き生きとした感性・柔軟な心・豊かなイメージにあります。自我防衛の鎧を着ていたのでは、論理は硬直化して、有害な「為にする理屈」になってしまいます。

よき思考、立体的論理を生むためには、ソクラテスの昔からいわれる【話し言葉による直接対話】が必要です。ネットで活字ばかりの現代は、ますますその重要性が増しています。平面的な形式論理から脱却するには、何よりまず、顔を合わせてのコミュニケーションが求められるのです。全身で感じ、想い、考える営みを広げるには、よき他者を必要とします。

武田康弘

以上は、先週の大学クラスでの授業のひとコマです。


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