思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

かつてサイトウもオザワも蹴飛ばしたNHKの降伏。裸の個人vs巨大組織

2010-12-18 | 社会批評


(1972年・70歳の斎藤秀雄)

一昨日、NHKの「BSベストオブベスト」で、2年前の小沢征爾のインタビュー番組を放映していました。音楽の意味と価値について平易な言葉で情熱的に語る73歳の「若き」小沢の話を楽しみました。40年以上前(1960年代後半)から彼の音楽を愛聴し、30年以上前から『ぼくの音楽武者修行』を授業で幾度も使ってきたわたしは、若い頃のままの彼の飾らぬ人柄にまたまたとてもよい気分!!
(ただ、インタビュアーの有働由美子の「分かりの遅さ」には呆れましたが、まあ、ご愛敬でしょうか)

最近のNHKは、小沢やサイトウキネンオーケストラのことを幾度も紹介していますが、それは、わたしのように過去を知る者には感慨深いものがあります。以下にその訳を少し書きましょう。

実は、NHKは、小沢征爾がウィーン国立歌劇場管弦楽団の音楽監督への就任が決まったころ、21世紀になって、ようやく彼の活躍を大きく報道するように変わったのです。

斉藤秀雄は小沢の恩師ですが、彼は、中国への侵略で始まった15年戦争の敗戦後すぐに、こどもの音楽教室→桐朋学園音楽科で、徹底したアンサンブルの基礎教育を「私塾的な自由な個人教育」によっておこないました。周知の通り、チェリストで指揮者であった斉藤は、基礎を徹底する独自の教育で、数知れない世界的な名演奏者(弦楽奏者)と小沢征爾・秋山和慶・山本直純らの指揮者を育てたのです。
斉藤は、1941年39歳のときに、NHK交響楽団の前身の新交響楽団を退団、というよりも、音楽と奏法に対する「原理」の徹底指導と強靭な個人意識を持つゆえに「排除」されたというのが実情ですが、そこでの経験から、日本の音楽教育には「合理的なメソッド」の確立が必要であり、「幼いころからの音感教育」が不可欠であることを痛感したのでした。

小沢征爾ら斉藤秀雄の教え子が集まり、「サイトウキネン・オーケストラ」を結成したのは、斉藤没後10周年記念演奏会の3年後1987年ですが(ヨーロッパ演奏旅行で大絶賛)、一年に一度、世界中で活躍する教え子が集まってつくる世界最高水準のオーケストラは、1992年からは松本につくられた新しい音楽ホールを拠点にして数々のユニークな活動を行っています。音楽好きの方なら誰でもが知っていることです。

斉藤秀雄が独自に編み出した「メソッド」により、指揮法と音楽に対する姿勢をゼロから叩き込まれた小沢征爾は、フランス・ブザンソンの指揮者コンクールで優勝し(当時、世界で唯一の指揮者コンクールでしたが、日本人で受けたのは小沢が最初であり、東洋人が優勝したのも最初であり、政府の援助も音楽大学の援助もない個人参加も例のないことでした)、そのあとアメリカに渡り、帰国してNHK交響楽団の常任指揮者となりましたが、「生意気な若造」の言うことには従えないとして、演奏会当日に楽団員が誰も来ない=演奏ボイコットという異常事態となりました。1961年小沢25歳のときです。いわゆる「N響事件」ですが、若き大江健三郎ら多くの小沢支持者が彼を励ましたのでした。

これにより日本での活躍の場を奪われた小沢は、再び海外に出ざるを得なくなりましたが、それは結果として幸いしました。ただし、巨大放送局のNHK(東京大学と同じような特権をもつ)から離縁された小沢は、その後アメリカで驚異的!な活躍を続けましたが、その模様はNHKテレビではほとんど何も放映されませんでした。ボストンやタングルウッドなどでの活躍が放映され出したのは、ずっと後になってからです。フランスで、ドイツで、オーストリアで、アメリカで大人気の名指揮者の映像が一番少ないのが日本であるという異様な事態が何十年も続いたのです。これが公共放送!!

その小沢の音楽番組がようやく「正常」に放映され出したのは、彼がウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが決まってからのこと。世界で最も人気があり、最も「由緒正しき」オーケストラの音楽監督に小沢征爾が就任する(2002年~2010年)という大事件!があって、はじめて彼を認める「日本放送協会」とは一体何なのか、ですが、組織の上位者に反省がまったくないのも「日本文化」のようです。

しかし、愉快なのは、斉藤秀雄という一人の人間の個性、音楽にかける情熱とそれを支える音楽原理の探求が、小沢征爾らの優れた個性を生み、その個性の集まりが、斉藤イズムの原理を生かして、サイトウ・キネンオーケストラとして見事な音楽をつくりだしていることです。N響を抱え、圧倒的な組織力をもつNHKをはるかに見下ろすオーケストラを生み出したのは、燃えるような情熱と明確な原理と持続する志をもった一人の人間=「個人」だったのです。

☆余談ですが、フランス・ザンソンの指揮者コンクールを受ける手続きを取ろうとして、パリの日本大使館に助けを求めた若き小沢は、大使館員に「君はどこの大学か?」と聞かれ、「桐朋学園です」と答えると、「聞いたこともないね、芸大ではないのか」と言われて追い返されたとのこと。彼に便宜を図ってくれたのは、なんとアメリカ大使館でした。


(残念なことに、わたしは、この優れた音楽集団のつくる音楽に全面的に賛同・共感はできないのですが、彼らが世界的に極めて高く評価される優れた音楽家集団であることは確かです。)


武田康弘


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ラルゴ2010年12月19日 01:03

私がテレビをゆっくり見る環境になったのは、割と最近のことなので、世界の小澤が、そのようにNHKから扱われていたとは知りませんでした。

日本もNHKも 生きている天才を大切に評価してほしいですね。

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タケセン2010年12月19日 09:45

日本社会は、あらゆる面で「学校化」されていて、権威と組織の上位者には従うほかない状況が続きます。自由がない、音楽もまたNHKの音楽官僚に支配されてきました。新潮文庫の小沢と武満の対談本『音楽』には、その現実が赤裸々に語られています。日本社会の民主化が求められますね。

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茶所博士2010年12月19日 23:36

 何十年も前になるけど、小平がアメリカ訪問から帰国してボストンフィルハーモニーを北京まで連れて来て、その指揮者が小沢氏でした。彼の育ちが満州国で、少年時代の家を訪ねたりした、という報道があったのはなんとなく覚えています。征爾という名前自体、板垣征四郎と石原莞爾から来ているのだそうです。元々日本国内に縛られるような人ではなかったのでしょう。
 食道癌の手術を終えたばかりだったそうですが、今でも精力的に活動しているのには感銘を受けました。

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タケセン2010年12月20日 10:37

よい音楽に国境はありませんものね。
「個人」としてを強く貫く小沢征爾さんは、とても日本を愛し、日本に責任を感じています。恩師・斎藤秀雄の「思い」を継承する意思は半端ではありません。日本の現状を厳しく批判し、日本から追い出された「個人」が一番日本のために努力し、巨大な成果をあげる。この逆説を知らない日本主義者は、愚か者以外のなにものでもありませんね。

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権威ではなく。 (Sam)
2010-12-20 21:02:28

私が武満徹作曲、小澤征爾指揮のノヴェンバー・ステップスのLPを買ったのはもう何十年も前のことですが、小澤さんはまだ若手の異端の指揮者でした。私は硬直した既成の権威(芸大やらNHKやら)と違った形で、創造活動に励む小澤さんに拍手喝采したものです。
 今現在、内外を問わず活躍されていることは大変うれしく思いますが、一方で複雑な気分にもなります。あの頃の小澤さんに対する批判はなんだったのか、何故今認められているのか、わけがわからないのです。その間の検証とか反省とかが何も無いままにいつの間にか小澤さん自身が本人とは関係なく権威としてこの国では機能してしまうことに戸惑いを覚えます。
 こうした現象は音楽に限りません。かつてポスト・モダニズムと呼ばれた異端の思想・哲学がいつの間にか主流に置き換わってしまっています。どこの大学でもルソーの悪口がまかり通っています。とうてい反省や検証があったとは思えません。ちゃんと読んでるとも思えません。一体どうなっているのか?
話が外れましたね。
 食道ガンはひどく転移しやすいガンなので、これからも健康に注意して元気に活動してほしいものです。

*有働由美子というインタビュアー。今はNHK総合の朝の番組に出ています。私はその中の料理番組をときどき見るのですが(笑)、ときどき彼女の表層的なものの(必然的に権威主義に堕す)とらえ方に苛立ちを覚えます。小澤さんが異端の指揮者だったら多分、見向きもしなかったでしょう。NHKも、、あのようなインタビュアーとしては採用しないしょうね、きっと。


コメント (6)
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