思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

1948年12月10日パリでの国連総会で「世界人権宣言」が採択―わが国の現状

2010-12-10 | 社会思想

今日は、「世界人権宣言」が採択されてから62年目。誰でもが互いに対等な人間としての権利を認め合うことが必要としてつくられた宣言ですが、先進国のはずのわが国では、いまだに人権意識が希薄で、日々の生活や仕事において民主的な人権思想が具現化しません。

驚くことに、安倍元首相の中心的ブレーンであった八木秀次氏(憲法学、思想史)は、『反「人権」宣言』(ちくま新書)の中で、「人権とはヨーロッパのつくりだした思想であり、日本社会にはなじまない。日本人は、『人権』の呪縛から解放され、共同体=国民の常識に戻るべきだ」と主張しています。

「人権」という近代民主主義が生み出した普遍的な思想を認めずに、「共同体主義」(国体思想)による反「人権」宣言を行う学者をブレーンとする政治家とは何なのか?これでは「日本国憲法」の基本理念に反する存在だと言うほかありません。

戦前の国体思想(明治政府がつくった近代天皇制)に対する反省がなく、靖国思想を日本的共同体復活のシンボルとするのは、保守反動思想そのもので、[日本国憲法]の依拠する近代民主主義思想とは二律背反です。

わが国が、今日の鹿児島県の検察による死刑求刑―地裁での無罪判決に象徴されるように、警察と検察の人権無視、役人による市民の抑圧が続き、冤罪天国と揶揄されるほどの人権後進国なのは、上記のようにいまだに「戦前レジーム」からの脱却が不十分だからですが、それは、主権者は市民・国民であるという民主制の「原理中の原理」の自覚が弱いからでしょう。

今日,12月10日の「国連人権宣言」記念日についても、我孫子の小中学校では一言も話されなかったようですが、人権と民主主義の知識+実践教育がなければ、民主制社会・国家とは絵に描いた餅にしかなりません。官僚・役人が中心になるような「戦前体制=官治主義」を底から破らなければ、個々人が輝くための民主制は、「はじめの一歩」が歩み出せないのです。

武田康弘
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