「自我」が強いと、必ず自他を不幸にします。
求められるのは、「意識」の強さです。
人間の精神は二重化されていて、当の対象そのものに向かう「意識」(純粋意識)と、それを意識する「自我」の二つの領域が同時に存在します。
おれは太郎だ、という自我は、必要最低限あれば十分ですが、この自我に囚われ、拘る人は、自他を共に不幸にする人といえます。上下意識と勝ち負け主義に支配される意識は、濁り、汚れ、歪んでいます。
他者から搾取したお金で贅沢を極める人生、配分せずに独り占めにして悦に入る人、そういう累積・過剰から生まれる世界や芸術は、わたしには唾棄すべきものと映ります。どこの国でも「王」だの「女王」だの「天皇」だのという極端な不平等が生む文化や、また、かつての貴族や特権者らがつくる腐敗・爛熟は、人間性の豊かさとは無縁の虚妄でしかありません。
人間の生に健康なエロース、艶、魅力をうむのは、「意識」の力です。
意識の働きそれ自体、真っ直ぐに対象に向かう意識、純粋な思考の世界・・・・
意識の働きの強さと明晰さです。その内実が、豊かで深く大きいことです。
自我の濁りではなく、透明な意識です。
「自我を弱め、意識の強靭を目がける」それがわたしの信条です。
武田康弘
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以下は、facebookのコメントです。
奥の深い話 (川瀬優子)
2012-06-20 16:49:19
読めば読むほど奥の深い話です!!自分の考えを押し付けるのは自我?自分の考えをはっきりと持つのは意識の強さ?って解釈でいいですか!?う~ん、確かに相手の我欲に振り回されるって不幸です(泣)シェアしま~す♪
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武田 康弘
優子さん、コメントありがとう。
相手を、自分の思い考える通りにしようとするのは、自我(エゴ)。
分かりやすいのは、宗教の勧誘者や情報や思想をコントロールするスパイですが、ふつうの人も無自覚で同じことをしています。多くの親は子に自分の思いや考えを日常的に押しつけています。「あなたの為」、と言いながら。
また、哲学や思想も、定式化=固定化して他者批判するのは、典型的な自我(エゴ)のなせる技で、「自我拡張ゲーム」でしかありません。
ひとりの裸の個人・みなと対等な資格で、堂々と主張する、自分の考えを明瞭に述べるのは、自我(エゴ)ではなく、意識(純粋意識)です。それは、明瞭・分明に主張すればするほど、自他の役に立ち、状況をよくします。
人がよく生きるためには、純粋意識を深く強く豊かにしていく営為が何よりも大切です。それなくしては、意識存在である人間の人間としての幸福はないでしょう。
集団主義や国家主義は、意識を様式に従わせる暴挙ですが、それは、自我主義が集団化したもので、集団的自我主義、国家的自我主義と呼びます。