思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

昭和の日?戦争反省の日にすべきです。偽りや誤魔化しをやめないと、わが日本に未来はないのでは?

2014-04-29 | 社会批評

 いつまで元号を使うのでしょうか?

社会全体の時間・時代が、一人の人間の寿命で決まる、なんという不合理。わたしは、いつも不快に思います。人間の存在に上下も特別もないはずです。だから、元号はとってもいや~~な感じ。

 

 太平洋戦争の敗北(無条件降伏)までは、昭和天皇の裕仁(ヒロヒト)氏は、現人神(生きている神!)とされた絶対的な存在で、

敗戦後の新憲法(骨子は、民間の民主的思想家7名の「憲法研究会」によるもの)では、主権をはく奪された象徴天皇となりましたが、

「天皇主権」の時代も、ひっくり返って「国民主権」となった戦後も、同じ昭和時代と言われる!!??なんですかね、これは。

それで、「昭和の日」、どういう日なのでしょうか?

まあ、何事も真面目には考えない、流しておけばよい、というのがわが日本人の美徳!?なので、なんでもいいのでしょう(笑)。

 

 20年近く前、戦後50年が過ぎて、アメリカの公文書館などでは、過去の情報がすべて開示されましたが、それによって明らかになったのは、

昭和天皇であった裕仁氏は、15年戦争(丸14年間)のはじめの「満州事変」でも、「対米戦争」でも、名実共に、最高責任者だったということでした。

戦後のアメリカによる日本統治の都合と、天皇自身の思惑と、旧支配階級の利益のために演出されたのが「東京裁判」(=戦争の最高責任者であった昭和天皇の免責によるアメリカの日本統治)であったことも分かりました。

わたしたち国民は、長いこと、真っ赤なウソの現代史を信じ込まされてたきたわけです。

 

 いまなお、真実の歴史は、学校では教えませんので、自分で学ぶほかには、ほんとうのことを知る術がありません。

一冊だけあげるとすれば、すでに現代の古典のような地位を確立している吉田裕さんの「昭和天皇の終戦史」(岩波新書)です。目から鱗、「真実」は豊かな力をもちます。

ウソや偽りや誤魔化しは、もうごめんです。

 今日という日を、「真実を知る日」としましょう。善美に憧れ、真実を求めるーーわたしたち一人ひとりが「魅力ある生を歩む人」となりたいもの。

 

武田康弘

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
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