思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

あなたは、安倍首相、麻生副総理、稲田防衛大臣らが、カルト教の主要メンバーであることをご存知ですか?

2016-12-25 | 社会批評

 明治維新政府(少数派だった長州藩らの下級武士たちによる暴力革命の成功者たち)は、自分たちによる日本の支配を正当化し永続化させるアイテムとして、神武以来続く皇室の伝統という神話を用いて、【皇室は神の家系であり、天皇は現人神である】という新宗教(国体主義=靖国思想=政府神道)をつくり、その現人神の前に全国民を拝跪させたのですが、その思想の反省が極めて弱いために、未だに異様な言説が飛び交います。

 これは、【国家カルト】(その総本山として明治2年に政府は「東京招魂社」をつくり、その10年後に靖国神社と改名し、「神社」にしてしまいました)と呼ぶほかない明治政府がつくった新宗教です。前後が逆ですが、政府が麻原のオウム教のような「生きている人間を神とし一族を神の系譜とする」カルト教をつくったのですから、言葉を失います。

 天皇教を作成した中心者は伊藤博文ですが、先輩の岩倉具視やエゲツナイ山県有朋らの集合意思により創られたこの新宗教は、それ以前の日本の歴史をすべて天皇史観に変えてしまい、壬申の乱以降、天武の時にはじめてつくられた「天皇」という言葉を、それ以前の大王と呼ばれた人びとにもあてはめ、126才の長寿をまっとうしたという神武(縄文後期~弥生初期)から受け継がれる「皇統の伝統」という神話を現実の歴史だとする小学生からの徹底したイデオロギー教育が断行されたのでした。明治の半ばにいったんは「個性教育」を打ち出していた文部省の方針は、山県らの意思で、「天皇主義教育」へと逆転し、それ以降無条件降伏による敗戦まで55年間、「日本の歴史は天皇が中心である」という神話による教育が続きました。そのため「個人」という概念は忌み嫌われ、天皇国家の中の日本人は「忠」(忠犬ハチ公はその象徴)の精神をもつべきで、公=天皇に仕える「滅私奉公」こそが最高の道徳とされたのでした。

 これは、一人ひとりの個人から生まれる内的世界の豊穣とは逆に、外なる価値に合わせて生きる国家主義の人間をつくることになり、個人の存在価値があらゆる価値の基盤である〈フィロソフィー〉とは無縁の大日本帝国のために日本臣民は存在するという強固な〈国家主義〉を生み、個人の内的宇宙は邪なものとされました。いまだに、「私の人生は私がつくる」という人間の人間的な生を歩めない日本人が多いのは、その深い後遺症と言えます。

 壬申の乱後の律令政治のはじめと天皇家が南朝と北朝に分かれて戦争した時以外は、天皇は儀式を執り行う者であり、その意味でほんらい象徴的な存在であったのに、明治政府によりオドロオドロしい役割を担わされてしまったことを嫌悪する現天皇の明仁さんは、個人としての発言の自由がない現憲法下で精一杯の抵抗をしていますが、安倍首相らウヨク政治家は、天皇個人の意思などおかまいなく、天皇=皇室というシステムを利用してニッポン主義で国民を統一することに情熱を燃やしています。

 前置きが長くなりましたが、上記の事実と真実をよく踏まえないと、いまの安倍政権やそれと類似する多くの政治家の過ちと危険性を了解することができないので、最低限の説明を書きました。

 英仏ではだいぶ前から安倍晋三とその閣僚たちが所属するカルト教=「日本会議」という極右団体を危ぶみ、批判していますが、アメリカでも、元大統領補佐官・国務長官のキッシンジャーが次期大統領のトランプと会談し、安部首相、麻生副総理らが特別顧問を務める「日本会議」を極右のカルトとし、危険視していると伝えられます。この「日本会議」の思想がどのようなものか、以下に少しご紹介します。

  中心メンバーの論客である藤原正彦 お茶の女子大学教授(数学者・ベストセラー『国家の品格』の著者)は、日本会議の宣伝誌(『皇位継承の伝統を守ろう!』=Amazonで買えます)16ページに以下のように書いています。

 「万世一系とは、神武天皇以来、男系男子のみを擁立してきたということである。男系とは、父親→父親→父親とたどると必ず神武天皇にたどりつくということである。・・・・これを変える権利は、首相の諮問機関にすぎぬ有識者会議にはもちろん、国会にも首相にもない。天皇ご自身にさえない。国民にもないことをここではっきりさせておく。飛鳥奈良の時代から明治大正昭和に至る全国民の想いを、現在の国民が蹂躙(じゅりん)することは許されないからである。」

 解説はいらないでしょう。ニッポン主義者は、このような気色悪い天皇カルト宗教を背後にもつことで、異常なまでの政治的情熱を持ち続けることが可能なのですが、これは、民主政とは二律背反で、とうてい西側諸国との思想的共通性をもつことはできません。こういう事実を国民みなが知らなければ、極めて危険です。この思想を現天皇の明仁さんが必死に食い止めようとしているわけが分かります。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員、国会職員に「日本国憲法の哲学的土台」を講義

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