2018年が明けたばかリ、真夜中の来訪者=教え子の西山裕天君に、驚くべき指揮者=クルレンツィスの話をし、ユーチューブで映像を見せ聞かせていたとき、偶然に新しい映像が入ってきた。12月28日に行われた演奏会のライブ配信=テレビ映像だ。
もはや通常のコンサートではない、「事件」だ。桁違いの名演に呆然。
第二次大戦の末期。ヒトラーのドイツ軍に包囲され、孤立した極寒のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)は、餓死者も続出、地獄絵となったが、ショスタコーヴィチはそこに留まり、ソビエトとドイツと全世界に向けて交響曲7番「レニングラード」を創り放った。頭上を戦闘機が飛び交う下で、自身でピアノに編曲して弾き、ラジオ放送された。
この曲がどれほどのものか、今までわたしはこの曲の真価を掴み損ねていたが、クルレンツィスとムジカ・エテルナ(クルレンツィスが組織した古楽器によるオケで名手の集まり)の演奏に震えた。レニングラードにおける初演者のムラヴィンスキーをはじめ数多くの名演を聞いても納得がいかなかったが、いま、深く身体に入った。
ムジカ・エテルナは、古楽器を現代楽器に持ち替えて、チェロを除く全員が立ったまま演奏。もう評する言葉もないほどの名演=熱演。ロシアのテレビ局は、始まる前から終わって皆が引き上げるまですべてをライブ放映したので1時間46分の番組となった。
飛ばし飛ばしでよいので、ぜひご視聴を。YOUTUBE
元旦、しかも年明けと同時の夜中に、まるで事件のような演奏に遭遇し、興奮がさめず、熱が出そう。今年は、よい年になるな。
来年2019年2月には、クルレンツィスとムジカ・エテルナの初来日が決定。しかもクルレンツィスの愛ある同志で、桁違いのヴァイオリニスト・コパチンスカヤも同行し、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾く。世界が変わる。
武田康弘
fbコメント
長時間立ち通しの演奏は体力的にも精神的にも相当集中力を保たないときついですね。さすがにアンサンブルの精度や奏者同士のコミュニケーションは格段に良くなりますし、指揮者の独り相撲や特定奏者の名人芸披露のような演奏とは一線を画すのはわかります。何年となく続いてきたオーケストラ演奏のありかたに、一石を投じるものとして興味深いです。クルレンツィスに対する評価は、他の演奏も聴いて判断したいと思います。実験的・表現主義的な傾向があるのか、経験・英智に裏打ちされた上での表出なのかまだわかりません。私がはじめてこの曲を聴いたのはノイマン・チェコフィルのLPで、その時の強烈な印象は忘れがたいです。
表情の多彩さ、多色で変化に富む。繊細で、きめ細かい。
磨かないのに音が美しい、音の粒子が小さく、粒立ちがよい。
流れが自然で、力みがなく、音楽が塊=団子にならない。
外的な情景の描写ではなく、精神の世界模様として描かれるために、奥深い音楽になり、ショスタコーヴィチの怒り、嘲り、陰鬱、慰め、闘い、持続、屈折、愛、連帯、不屈、勝利・・・が克明となっている。
驚くべき明晰さが単純さとは無縁の地平に展開される様には感嘆するほかない。
わたしはそう感じました。
モーツァルトもチャイコフスキーもストラヴィンスキーもマーラーもみな驚く名演で、実に新鮮。根源的でかつ自然性に富み、新しい世界が拓けます。ぜひ、お聴きください。