思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「春の祭典」 テオドール・クルレンツィスとムジカエテルナ (ソニーレコード)

2018-01-20 | 芸術

昨日、CDが届き、教室(白樺教育館)で中学生の授業前に聞いたが、はじめ、面食らった。予想とは異なり、意外とおとなしい演奏。
あれっ?
聞き終えて、もう一度再生。まだ真意がつかめない。

今日、家のキッチンの小型のオーディオで聞く。あーーーっ、これはモダンと自然(土着)が一つだ。美しい。弱音部分の美と意味深さに惹きつけられ、うっとりした。強奏部分はとてもシャープだが、荒れない。自然な美しさを保っている。バーバリズムとは無縁だ。

いま、わたしの音楽ルーム兼書斎の大型装置で聴いている。ますます弱音の美しさが際立ち、隅々まで繊細で、実に丁寧。20世紀の事件となった不協和音と荒々しいリズムを特徴とする音楽ではなく、モダンと土着が合一した最高の名曲としての「春の祭典」が繰り広げられる。

それにしても、激しく燃えるような情熱が、頭脳明晰・クールなまでになまでにコントロールされたクルレンツィス指揮のムジカ エテルナがつくる音楽を聞いていると、ちょうど100年前(1917年)に出されたアインシュタインの「一般相対性理論」を思い起こす。最初、それを読んで意味が分かった人はほとんどいなかったが、瞬く間にその衝撃は世界を席巻した。時間と空間の概念が革命されたのだった。

いま、5回目。
実演のような大音量で聴いているが、録音も素晴らしく、眼前に楽器が見える。
う~ん、これは、電子テクノロジーの著しく発達した21世紀のモダンと、土着的な人間の自然性が一体化した恐るべき次元の演奏だー不動の確信がやってきた。徹底的に考え抜かれ、コントロールが行き届いていて、且つ自然でふつう。なんということ。 もう一度、うつくしい! そして実に強い! 


武田康弘

コメント
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