思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

二つの国体(菊と星条旗)論 ー白井聡の論考は正鵠を射るもの(集英社新書)

2018-05-12 | 社会思想

 

戦前は、「天皇陛下は、その赤子であるわたしたち臣民を愛してくれる」、だから、その愛に応えることが日本人の生き方。
戦後は、「アメリカは、敗戦国の国民であるわたしたちを愛してくれる」、だから、その愛に応えることが日本人の生き方。

なんだか超哀しい~~!ですが(笑呆)
著者の言う二つの「国体」という妄想=物語に共通するのは、なんでしょうか?
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それは、「自由と責任をもつ精神的に自立した個人」が存在しないことです。
日本人には知性はあっても、個人の精神がないのです。
だから、事象の判断を自分ですることのできる人はほとんどいません。
いつも権威に従い、有名である人を評価します。自立した精神がないので、それ以外には判断の方法を持ちません。
学者は、欧米の研究成果が基準ですから、オリジナルな知性=精神がありませんが、それに疑問を抱く人もいません。
そのため、明治から今日まで「日本に哲学なし」と言われてきました。日本では、哲学(フィロソフィーの正しい訳語は「恋知」ですが)と言えば、大学内の一つの専門知とされ、哲学書の読解と記憶に過ぎませんから、日々の体験に基づき自分の頭を悩ませて考える=精神の力を強めていく実践とは切れています。

天皇陛下に従属し、
アメリカに従属し、
プライドのある「エリート」族は、西ヨーロッパに従属します。
みな従属です。

従属なき知性=自立し精神は、疎まれ、無視されます。その構造的「虐め」(序列と型の二つで人間を閉じ込める)に屈せずに、なんでも受入れつつ精神の自由=恋知をつらぬける人は、どうも「天然記念物」レベルの少数者のようです。まあ、国の特別天然記念物として丁重にオモテナシしてくれるなら嬉しいですが(笑)、そうは問屋がおろさず、村八分にされる(干される!吊るされる!)のが落ち。ズコッ(失礼)。それにしてもなんと底意地が悪い国なのでしょう~~~

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話がこの本「国体論」からズレて広がってしまいましたが、
これは、稀にみる優れた論考で、とてもお勧めです。著者の白井さんは、本道を歩み、立派だと思います。まだ若いので、これからも楽しみです。
一つだけ苦言を呈しますが、これからは、天皇の「おことば」に依拠するのはやめないといけません。天皇家は京都御所に戻して文化的行事のみに(国事行為から解放)、そして人権を認めて自由な生活に、という方向に変えていくというのが正論のはずですから。




武田康弘

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