「愛国心」などという精神は、アナクロニズムです。危険でちっぽけな想念に過ぎません。
国を愛することなどできません。愛するのは人です。人間愛です。幼子や子どもたちを中心にして、今を生きる生きものたちと人間への愛です。生命愛です。
ソクラテスは、(国家権力者による)地上の支配などはるか下に見下ろすのがフィロソファー(恋知者)だ、といいましたが(プラトン著「ポリス=国家」)、その意味は、一人ひとりの人間こそがあらゆる価値の根源であり、個人の精神こそが何よりも一番上位にあるという意味です。それは、同じ文化圏から生まれた釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の自帰依・法帰依と重なります。
国家というものは、個々人の意思でつくられるものであり、個々人の精神以上の価値など原理上存在しません。個々人がそれぞれの精神をもち、互いに対等で自由に生きるために必要なシステムが国家であり、Stateとはそれ以上の価値はもたないのです。
戦後途絶えていた愛国心教育が再び始まりましたが、これほど有害な教育はありません。昔の国家主義に戻るレベルの低い思想であり、危険です。他者愛のない自己愛が有害なのと同じで、他国への愛や寛容が先立たない自国への愛などは、争いを増やすことはあっても減らすことはなく、実に愚かです。
いま何よりも必要なのは、人間愛、人への愛です。いかに考え・生活すれば、愛が豊かになるか、よろこびや楽しさの広がる人生をつくれるか、そのための教育が求められるのです。世界平和は、よい思想・優れた考え方から生まれます。制裁や脅しや強面や強がり、軍事力強化は、危険を増やすだけの恐ろしまでに愚かな態度です。
豊かな人間愛をひろげる教育は、親や教師の表情やことばや態度から出る「優しさ」「愛情深さ」「寛容さ」「おおらかさ」「よろこび」「にこやかさ」「しなやかさ」「自由さ」のオーラなのです。愛国心教育ではなく人間愛ー生命愛教育でなければいけません。
武田康弘