ふだんの日でもそうですが、わが日本の学習とは、学習ではなく、お勉強。自分の頭を使って考える学習ではなく、テスト勉強。
だから、今の日本には使える頭の人がひどく少数で、とりわけ、思想や人文や法律や社会関連の知的レベルは、低いというより冗談のレベルです。
ただの暗記とパターン知を競わせることしかないので、というより、ほんとうの学習の意味も方法も知らず分からずですから、もう末期症状。
頭そのもの=脳の人間化ではなく、どれだけ教えられた通り・決められた通りに覚えられるか、それが優秀さの基準というのでは、もやはマシーン=AIで、「東大脳」とよばれますが、もう終わっています。
夏休みまで、受験主義の勉学、テスト勉強をする、させるというのは、一体何を想い、考えてのことでしょうか? 山や海での自然体験が少なすぎです。お父さん、こどもと一緒に自然に溶け込む体験学習をしていますか? 雲かと見まがう天の川-満天の星野。
「学校知」に縛られずに、自分の心身と頭全体で知り、想い、考える学習、ほんらいの学習を少しはしたらどうでしょうか? 受験塾に何万円も払うお金があるなら、博物館、科学館、プラネタリウムや美術館などを丸々一日かけてじっくり見る、そこに提示されている資料を読み、解説や映画などを視聴して、学芸員に質問する、という中身の濃い学習をする、させる、というのが、よい=正しい知的教育のはずです。
こどものクラシック音楽会もこの時期、各オーケストラが催していますから、コンサートホールで音楽を聞く。その体験はとても大切です。1度ではなく2度いくと、身に入ってきますし、その後、秋から冬にかけてのシーズンでも学生(小学生~大学生)は、半額とか1000円程度で聞けますから、人間脳をつくる基盤となります。日本人が思想音痴で自分の頭で考えられないのは、音楽(心身と頭の全体を刺激する音楽)を体験する経験が少ないことと符合していると思います。ピアノのお稽古=習い事というレベルとは異なる音楽体験が必要です。
直接体験として知るという基盤がないインチキな受験テスト勉強は、「よろこびのない学習という非人間的訓練の正当化」を当然とするような不毛な思想を生みだします。みなが不満や不全感・疎外感をもつのは当然ですが、この思想&システムを是認するために、スタティックな形式主義の道徳を押しつけて、なんとか秩序を保とうとしているのがわが日本の現状です。この不幸=知的退廃を変えるには、あなたの価値意識の転回が必要です。「エリート」&もどきの人ほどダメです。
武田康弘