思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

新型コロナ 過剰反応 「ウイルスとの戦いというより社会との戦い」 国立病院機構仙台ウイルスセンター長・西村秀一氏談

2020-07-25 | 社会批評

「戦時中のようだ」

 では、実際には、われわれはどう怖れるべきなのか。国立病院機構仙台医療センターのウイルスセンター長、西村秀一氏が言う。

「現状の新型コロナ対応は、まるで負の宝くじです。高額は滅多に当たらないのに、CMを見て、もしかしたらと思ってみな買います。同様にいま専門家がテレビで“あなたも当たる可能性がある”と言いますが、当たる人はわずか。しかし、宝くじレベルの確率のために、みんなが不安がって無駄な対策をしていては、社会への悪影響は大きくなる。感染者が出ていないところでアクリル板越しに食事するなど、一般社会での過剰な対策は意味がありません」

 そして、ゼロリスクを求める風潮を斬る。

「人間ずっと緊張してはいられず、メリハリある対策が肝心です。たとえば、ウイルスが散らばる屋外に出たら、マスクは要りません。専門家はよく“可能性がある”と言いますが、それなら明日隕石が落ちて死ぬ可能性だってある。私が“これは気にしなくていい”と言うと、“可能性がないと言えるのか”と怒る人がいますが、ないものは証明できません。結果、全国にたくさんある学校のごく一部で感染者が出たからと、教師がフェイスシールドを着けたり、机をアルコール消毒したりしていますが、換気をしていれば十分。休校の必要もなく、子供たちから教育機会を奪うほうがずっと問題です。いまは、おかしいと思っても反対できなかった戦時中のようだと思うことがあります。“そんなに気にすることはない”“感染する可能性は極めて低い”と言うと、人命を軽視しているとか、ウイルスの怖さをわかっていないとか、すぐ攻撃されます。ウイルスとの戦いというより、社会との戦いです

 そんな戦いが必要なのも、操作された数字や、根拠がない扇動的な試算に、われわれが踊らされているからだろう。過剰な不安と無用な対策による犠牲をこれ以上生まないためにも、冷静な目をもって、根拠が示された正しい数字を求めていくしかあるまい。

(デイリー新潮よりシェアー)

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