わたしの中学時代からの親友が、指揮者の小沢征爾さんを、「はにかむことを知っている超天才」と書いたメールをくれましたので、わたしの小沢征爾さんに対する思い、見方を書きました。
「はにかむ小沢さん」のことは、わたしも大好きで、素晴らしい人だな~~とずっと思い続けてきました。しかし、残念ながら、暫く前からの彼の演奏については、手放しでは楽しめないというのが本音です。
以下は、親友への返信メールです。
○○様
小沢征爾さんの『ぼくの音楽武者修行』は、30数年前から長いこと中学一年生の授業で使い、彼の演奏する音楽を聞いてもらいつつ音読しました。 ず~と応援してきてLP→CDもたくさん購入してきました。
ただ、ウィーンフィルの音楽監督になったころ(超有名になったころ)からの演奏は、
最高の評価を得たショスタコービッチの交響曲5番にしろ、
奇跡のニューヨークライブと謳われた最近のベルリオーズの幻想、ブラームスの1番にしろ、各々の音楽の真髄に「届かない」と感じてしまいます。
たとえば、サイモン・ラトルがつくる明晰で豊かな理念を感じるエロース=立体的な面白味とは異なり、平板的・直線的でひろがりを持ちません。聴衆は熱狂していますが。
マーラーの9番(2001年東京文化会館でのライブCD)など、西洋人がつくる世界とは別の意味で優れた演奏(美しく情緒的で涙を誘うような)もあり、好感を持ちづづけてはいますが、若いエネルギーの奔騰を示した以前の演奏のようには絶賛できない演奏も多いです。
おそらくは、オーケストラプレーヤーをまとめる力はあっても、強靭な理念世界を生み出す力が彼の中にはなく(師の斎藤秀雄にはありましたが)、そのことが、若さの輝きを失った後の彼の演奏を平板化させているのではないかと思えます。
小沢は、間違いなくわが国最高の指揮者ですから、これからの最晩年に、予想外の逆転(新たな価値をもつ演奏)が生まれることを祈ります。
武田