思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

純然たる民主政の破壊!地方議会も賛成は5つのみ! 安倍自民は、恐ろしい「公共悪」を働く人の集まり

2015-07-14 | 社会批評

国民の3分の2が反対し、
憲法学者の90パーセント以上が反対し、
地方議会でも、賛成5 対 反対124 

これで法案を通すなら、正真正銘の独裁政府=ファシズム国家です。これは、だれも反論できない厳然たる「事実」 。
こんな公共悪がまかり通る国では、日本は終わってしまいます。
安倍自民党とは、恐ろしい巨悪と断ずるほかありません。狂気集団!!!

良心をもつ自民党議員は、人間の誇りと勇気をもって安倍首相にノーを。



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員=哲学講義)

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武田哲学へのインタビュー第6回    ほんとうの教育とは?     内田卓志

2015-07-12 | 教育

それでは、また続きを伺います。     内田卓志

 「対立」とは?よくわかりました。先生の実存概念は、決して過激なものではなく、徹底的・根源的な、まさにラディカルです。私にはよくわかります。
かつて私は、ヤスパースの実存哲学を学びました。ヤスパースの実存哲学に、「実存的交わり」という概念があります。交わりとは、英語のコミュニケーション:communication(ドイツ語だとコムニカチオーン:Kommunikation)をさします。その実存と実存の交わりは、「愛しながらの闘い」だともいうのです。私は、ここでヤスパース哲学の解説をしたいのではなく、ヤスパースのいっていたことが、先生がいわれている「対立」という行為を通して、私の記憶の底から立ちあがってきたのです。

 それでは、そろそろ教育の問題に移らせて頂きます。先生は、40年ぐらい私塾を通じ教育の現場に携わって来ておられますね。先生の教育の理念を伺いたいところですが、話を具体的にさせた方がよいと思います。そこで、今の学校教育と白樺教育館の教育の違いからお話し頂きたいと思います。その方が、具体的な教育の現場の経験から、教育における主観性の知の意味について一層理解できるように思います。如何でしょうか?

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 (63歳のわたし・クリックで拡大)

 わたしのフィロソフィと実践を踏まえた教育論は、いろいろな雑誌や本またblogにずいぶん書いてきましたので、まとめると一冊の本になりますが、核心をいくつか。

 まず、何よりも機械的な学習は最悪です、『公文式』はその最たるもの。反復して覚える九々にしても、意味(かけるというイメージ)を頭に浮かべての反復が絶対であり、単なる数字ー記号としての丸覚え=機械的反復は、ナンセンスの極みです。

 もうずいぶん昔にアメリカの教育省は、公教育に『公文式』を使うことを禁止しましたが(教育省の追跡調査で、公文式を採用した学校の卒業生は創造性に欠けるという結果が出たので、とNHKの番組が詳細に伝えていました)、わたしの教室でも『公文式』をやっていた子は、機械的に算数をするために、文章題の意味を捉えることがひどく苦手です。はじめから『ソクラテス教室』で、生活経験やその子の興味と重ねて「意味が分かる算数」を勉強した子とは、頭の構造が根本的に違ってしまいます。

 算数に限らず、知的教育は、丸暗記とパターン認識(それはコンピュータの方法)ではなく、自分の頭で意味を捉える力の育成です。学習において【意味】を了解し、つかまえる方法を身に付けなければ、一人の人間としての精神的自立は得られません。これは、知=頭脳の原理です。意味論なき事実学の累積は、事実人(犬でも猫でもなく人という種ではあるが人間的な意味をもった「私」を生きられない)しかつくりません。学業成績(テスト知)が極めてよい子の多くが、他者(権威者や権力者)に操作操縦される優秀な!?「事実人」に陥っているのが現実です。実に恐ろしいことです。

 音読でも、スラスラとアナウンサーのように読めることを目標するのはバカげた話です。文脈にそって意味を捕まえながら、また、情景を思い浮かべながら読むこと、論理的な意味把握と、感情移入が何よりも大切です。つっかえたり、かんだりしてよいのです。スラスラを心掛けるのは、頭を悪くするだけのことなのです。

 また、理科は、伝えたいことの核心の意味が示されずに、凹凸のない知識が羅列され、それを覚えるだけなので、子どもが興味の持ちようがなく、教科書や副教材を見ているわたしも苛立つことが多いですが、学校の教師もこれでは苦労するでしょう。さらに、直接経験が少ないことも大問題です。「白樺教育館」の屋上に設置している望遠鏡(口径21センチ反射赤道儀)で月面や惑星面を見た感動は驚きの声で分かりますが、いま、直接に、という経験抜きに机上の学習をするのでは、知は干からびたものにしかなりません。また、海に潜る経験、毎年の式根島のでのキャンプ&ダイビング(今年で40回目)は、「得難い経験をさせてもらい、先生にほんとうに感謝しています。」とOBや父母のみなさんから口を揃えて言われます。

 社会科は、有名人の暗記で、生きた人間の営み=自分たちの今の生とは無関係です。出てくるのは〇△天皇という名前が中心で、明治政府がつくった「天皇史観=偉人史観」のまま。庶民は付けたしの存在扱いです(笑・憤)。
  近代史は、例えば、伊藤博文は初代総理で明治憲法をつくった偉人とされますが、英国公使館に放火し全焼させたこと、暗殺者であったこと、大金を横領したことなどは一切触れられませんので、偏ったイデオロギー教育になり、真実がもつ面白さ、多面的な世界の不思議はすべて消されています。平面羅列で知が立体化しないのです。意味の分からない丸暗記ばかり。いつまで続く~~~。
 わたしの教室で歴史に興味を持ち、成績もよい子は、マンガ『日本の歴史』『世界の歴史』(白樺教育館の蔵書)の愛読者だった子です。ついでに、現代史=戦前の日本を学ぶのに最適なのは『はだしのゲン』(蔵書)です。著者の体験談は、建前のウソではく、ホンネと真実のもつ迫力が実に面白いのです。公民はその最たるもの。

 お題目、表層的、建前、ごまかし、騙(だま)し、では、人間としての自信とよろこびをもつ子、ほんとうに優れた子が育つはずがありません。せいぜい偽善者が育つだけ。

 

 次に人間教育です。

 政府が行う道徳教育と呼ばれるものは最悪です。フィロソフィ(恋知)の実践教育こそが必要なのです。政府文部省が介入する「道徳」とは、背後に特定の思想を必ず隠し持っていますので、本質的に占脳=染脳教育以外にはなりません。これは、特定の政治勢力(自民党の文教族)が行う教育では決して避けられないことで、反教育=ダメ教育の見本です。

 人間を育てるどころか、人間の可能性を狭めて型にはめるだけのことです。「道徳教育」とは非・人間教育でしかありません。自分の経験を踏まえて、種々の情報を吟味し、自分の頭で考えたことを自由に交換・交感するフィロソフィの実践教育こそ、大きく深い【民主的倫理】をもった子=人間を育てるのです。
 アメリカのマシュー・リップマンとその同伴者たちが全米の公教育で実践してきた「6歳からのソクラテス教室」や、フランスの公立幼稚園で行われている「幼児の哲学教室」などは、極めて示唆に富む実践ですが、わたしの「ソクラテス教室」では、そうした思想-精神で、もう40年間も試行錯誤を続けてきました。「孤立」ですが、栄光でもありますね。
世界の最先端!!(笑)

 (クリックで拡大「わたしの道をまっすぐに!」二歳の孫)

 最後に一番大切な幼児(1歳から2才くらいの最重要期間とそれ以後)ですが、とにかく、大人の常識に縛られずに(大人が自分のもつ常識を白紙に戻して大元から問い直す営みが一番大切)、【こどもを無条件で愛する】ことが絶対条件なのは言うまでもないことです。その基盤があれば、こどもは深く自己肯定ができますので、どのような困難にも負けず、打ち勝ち、自分自身の人生を歩むことが可能になります。

  また、イタズラ、悪さ、おどけ、ふざけ、は何より大切で、「小利口」や「小さい大人」のような子どもにするのは、言語に絶するほどの「悪」です。
以下は、10年以上前に出したものですが、再録します。
 

  お母様、お父様、 教育とか躾(しつけ)と思って子どもの心を抑圧し、歪めてはいませんか。
 発育、発達には順番があります。子どもは、十分にふざけ、おどけ、ばかを言い、けんかをし、悪さをしなければ、まともな大人にはなりません。早く大人にしようとすれば、小利口のつまらない人間か、外見だけを整えた偽善者か、心の深部に不満を抱えた犯罪予備者にしかならないのです。
 高校生になり、二十歳になって「狂って」いる青年は、幼少期―小学生までの時期に、十分にばかを言い、やれなかった(親や教師によって抑圧された)子どもたちの姿です。
 順を踏むこと、「飛ばし」の英才教育をしないこと。これは教育の原理です。子どもは自分でいろいろと試してみる時間的ー精神的余裕を持てないと、主体性を持ち、自分で考える人間にはなれないのです。子どもを「病気」か「ロボット」にするために必死で努力する!?愚かです。
 生活=体験=直観に根差した「意味」の分かる心と頭を育てる条件は、子どものありのままの心を受け入れ愛すること、急がずに順を踏むことです。必要なのは、「おどけ・ふざけ・悪さ」を許容し、楽しむ心です。一段ずつ階段を上ること。「飛ばし」をすれば、内的には悦びをもてない人となり、不健康な人生を招来します。


 

  なお、ここで述べた教育思想は、会社での社員教育もその原理は一緒で、応用できます。この前にお示しした『日本オラクル』の初代社長・佐野力の社員教育は、わたしの理念を具現化したものが中心で、わたしのインタビュー映画がつくられ、オラクルの全社員(15年前で1300名)はそれを見てもいますよ。

 

武田康弘

 

 

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ついに東京大学も反政府の烽火!! 安倍政権打倒ー教職員と学生が一体。

2015-07-11 | 社会批評

遅ればせながらではありますが、

東京大学もついに、反安倍!反政権!反戦の戦いに加わりました。ガンバレ!東大。

全国の大学も一斉に立ち上がり、政府を倒す国民運動にしましょう。

教職員と学生が一体となり、民主政治と平和を守るのです。それが大学人や市民みなの義務でしょう。

自民党内の良識派も叛旗の烽火を上げて、安倍政権を終わりにしようではありませんか!

今からでも遅くありません、公明党も良心を取り戻してください。


武田康弘(元 参議院行政監視委員会調査室・客員=哲学講義)


以下は、今朝の東京新聞の一面と二七面です。

 

 

 

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フィロソファーと憲法哲学の講義者の名にかけて、現内閣は【民主政を逸脱した公共悪】であると断言します

2015-07-09 | 社会思想

安倍君や麻生君らの現内閣は、【民主主義の破壊者】であること、これだけは確かです。

わたしは、フィロソファー(恋知者)の名にかけて、

また、超党派の国会議員で構成される内閣と霞が関の各省庁を監視する『参議院行政監視委員会』を支える調査室で、国会職員(国会所属の官僚)のみなさんに憲法の哲学的土台(=フィロソフィの本質と憲法哲学)を講義してきた者として、

安倍内閣が、民主政を逸脱した【公共悪】となっていることを、全実存をかけて断言します。


武田康弘

 

 

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本日の「恋知の会」、写真です。内容は激辛!右派の戦前思想は、根こそぎお終いに~(笑)

2015-07-09 | 学芸

内容は、激辛で、「日本会議」 (安倍君以下閣僚の大多数が参加する戦前思想の右翼団体)など簡単にふっとばしました。狂気の正体を根こそぎ解明!(笑・ホントウ)

「恋知」は、そんなもの相手にするレベルではないですが。

詳しくは、後日。

武田康弘

 

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安倍君、麻生君、石破君、・・・平和ボケの君たちが、まず、戦場に行きなさい!!

2015-07-07 | 社会批評

おいおい、頭の軽い 二世、三世の閣僚たちよ。自民党の若手たちよ。
安倍君に、麻生君に、石破君、ほんとに戦争やりたいようだね~~~~
「中国と戦争だ、安保法制は中国のため」とオフレコで述べた安倍君、バカじゃなかろうか。
敵視政策をとり、緊張感を高めて(NHKも安倍クンに支配され愚かに追随)国民に心の戦争準備をさせる、いったい何の得があるのかね。はい、財界の得ですね(「戦争ないと経済が困る」と正直な財界人の発言には呆れて笑える)。

「平和ボケ」の君たち、そんなに戦争したいなら、まず、君たちが行きなさいよ!!
何事も、言いだしっぺが先陣を切るのは当然のこと。

安保法制=戦争法制には、国民の3分の2が反対し、憲法学者の90パーセント以上が「違憲」だと言っている。それを通せば、独裁政府=ファシズム国家になるのは、誰にでも分かること。
いい加減にしたまえ、安倍クンたちの「米軍に寄り添うお坊ちゃん政治」は、みなの迷惑で、国を割ってしまうぞ!

民主政の破壊者たちよ。公共悪を平気で為す者たちよ。目を覚せ!!

 

   武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室 客員調査員 哲学講義)

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純粋で、まっすぐな感動!わたしの大好きなベートーヴェン『合唱幻想曲』

2015-07-05 | 芸術

ベートーヴェンには、少年のような(時には少女のような)純情がそのまま音になっている作品があります。

純粋な「私」の発露は、どの曲でもありますが、ときにそれが、生(き)のままに表出されます。ピアノ曲の小品=「6つのエコセーズ」などは、誰が聴いてもその愛らしさんにドキドキするでしょう。まるで幼いころの初恋のような。

「合唱幻想曲」は、そうした作品の代表だと思います。18分ほどの(クレンペラーは例外で20分を超える)作品の最後の3、4分間で合唱が入りますが、その感動は、少年や少女の真っ直ぐで純情な世界のもので、それゆにストレートな悦びがやってきます。

 わたしは、聴く度に、全身に鳥肌が立ち痺れるような感動におそわれます。

 CDはいろいろありますが、対極的な二つの演奏が共に最高だと思います。
クレンペラーの深く沈み込み、大きな広がりをもつ演奏は、超絶的な名演ですし、また、ガーディナーの時代楽器による演奏は、高い熱をもち、生理的にも快感が得られます。
その他の演奏も、それぞれに聞きごたえがありますが、この二つは別格です。

なお、どのCDでも20分近い曲が一つのインデックスなのは不便ですが、わたしの知る限り、一つだけ、アバド(ウィーンフィル・ピアノはポリーニ)のは、細かくインデックスが入り、とても便利です。演奏は、ウィーンムジークフェラインザールでのライブで、たいへん美しく熱演ですが、外面的(視覚的)なので、前二者ほどの感動とはいきません。残念。ただし、「田園」も含め録音も見事で、ウィーンフィルの得難い美しさを堪能できます。

   (クリックで拡大)


武田康弘

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8日(水)は、『恋知の会』  「日本会議」(国会議員280名余りが所属)=フェティシズムという倒錯。

2015-07-05 | 学芸

今週の水曜日(8日)は、『恋知の会」』です。
午後1時開場、1時30分から~~4時30分まで。白樺教育館(我孫子市寿1-20-1)

愚かな戦前思想=『日本会議』(国会議員280名余りが所属)がもつ精神構造について考えます。

フェティシズム=物神崇拝 と ネクロフィリア=死体への愛 という精神倒錯者を生む日本の精神風土の恐ろしさを深く自覚したいと思います。

「愛国主義」という狂気性は、なぜ生まれるのか? 


フィロソフィ(恋知)という発想は、学校、会社、国家という組織や制度への愛という【倒錯】ではなく、生きている人への愛を生みます。


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安倍首相とは、公共的悪人の見本です。こどもたちに反面教師として教えることが必要です。

2015-07-02 | 教育

ほぼすべての憲法学者が違憲だと判定し、国民の多数が反対する安保法制(内容は戦争法制)を数の力で押し通そうとする首相は、主権者である国民の「一般意思」に反する政治を行っていますので、民主政国家ではすでに権力行使の正当性を失っています。

政治家個人の思想を主権者の意思を抑えて、国家権力を使って実現するのは、ヒトラーや戦前の天皇制の官僚内閣などと同じく独裁政治です。安倍首相は、小選挙区ゆえに自民党議員が首相に反対することが出来ないことを利用して、実際上自民党内の思想の自由も奪っています。

こういう存在は、個人的な犯罪者を超えた「公共的悪」を働く者であり、最悪の人間です。

こどもたちに、安倍晋三という首相が「悪」を働いていることを教えるのは、大人である親や教師の責任です。
よき公共社会、みなでつくる健全な国を壊すのが安倍晋三(彼の所属するウヨク団体「日本会議」)の行いであることをしっかり話すことで、日本を民主化し、未来の日本を明るい社会にできます。
わたしたちは、主権者として大人の責任と義務を果たそうではありませんか。

 




武田康弘(元「参議院行政監視委員会調査室」客員調査員=哲学講師)

 

 

 

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「積極的平和主義」は概念の盗用 --- 提唱者のガルトゥング博士が緊急来日  安倍首相は意味を真逆に。

2015-07-01 | 社会思想

以下は、 さんの6月25日のblogです。



「積極的平和主義」は概念の盗用   提唱者ガルトゥング博士が緊急来日

戦後70年という節目に、日本は平和国家のままでいられるか瀬戸際です。ほとんどの憲法学者が「違憲」「憲法9条に反する」と判断している安保法案が成立すれば、集団的自衛権の行使が可能となり、自衛隊が武力行使できるようになります。そうなれば、もう世界に誇る平和国家ではなくなってしまいます。それでいいのでしょうか?

「積極的平和主義」それとも「積極的戦争主義」?

思い起こせば積極的平和主義という言葉がよく聞こえるようになったのは中東で日本人人質事件があってからのこと。ジャーナリスト後藤健二さんがIS(またはISIL、イスラム国)に拘束されているころ、安倍総理は中東を歴訪し、積極的平和主義の理念にもとづきテロとの戦い、ISIL対策として2億ドルの支援を約束。その後、後藤さんが無惨にも殺害されてしまったことは記憶に新しい出来事です。テロとの戦いを積極的に行うことが積極的平和主義とでも言うのでしょうか?テロと戦うとはどういうことなのか?紛争とはどういうことなのか?この夏公開するドキュメンタリー『それでも僕は帰る ~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~』を観たら実感できるはず。

また、「平和」とは逆のことが行われています。去年4月には武器輸出三原則が緩和され、日本政府はオーストラリアへの潜水艦技術供与を決定。マレーシアやフィリピンへの武器輸出を行うとしています。先月5月18日には戦後初めて国際防衛見本市が開催されるなど、戦争ビジネスが活発化しているのです。

「積極的平和」のそもそもの提唱者、ガルトゥング博士を日本に!

安倍政権が多用する「積極的平和主義」。実は平和学では「積極的平和」とは、有名なコンセプトであることを知りました。 「積極的平和」とは、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない状態のことをいい、決して「テロとの戦い」に勝利して、脅威を取り除くようなことではないのです。

この「積極的平和」を提唱したのは、平和学の第一人者で世界的に「平和学の父」と知られるヨハン・ガルトゥング博士であることを知りました。世界中の大学で平和学を教えて来られ、これまでに世界100ヶ所以上の紛争調停をしてきた実践者でもあります。これは日本に呼ぶしかない!と動いた所、ご高齢にもかかわらず、日本のことを心配してくださり、来日を決意してくれました。

Skypeで博士と話した時、安倍総理が「積極的平和主義」を旗印に掲げていることをどう思うかと聞くと、

私が1958年に考えだした「積極的平和(ポジティブピース)」の盗用で、本来の意味とは真逆

とおっしゃいました。

日本がすべき真の国際平和への貢献とは?

1930年生まれで今年85歳になるヨハン・ガルトゥング博士が来日する最後のチャンスになるかもしれません。来日日程となる8月19日から8月22日までの間、様々なイベントを行う予定ですが、8月19日には、ジャーナリストとして有名で、同じく80歳を超える田原総一朗さんが博士と「安保法制、憲法改正、積極的平和主義。日本はどう国際平和に貢献すべきか?」というテーマで対談してくださることになりました。

ガルトゥング博士来日を成功させるためにクラウドファンディングを開始しました。リターンはイベント招待や講演DVDなど。日本が世界に誇る平和国家あり続けるために、「「積極的平和」の生みの親で「平和学の父」と評されるヨハン・ガルトゥング博士を日本に!」へのご参加、ご賛同、応援をぜひお願い致します。
 
 傍線部分をクリックしてください。武田

 

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