★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

蜂穴神社を訪ねる2(香川の神社88-2)

2017-10-18 23:28:38 | 神社仏閣

もときた参道を眺める。猫が顔を出す。






左手に「銀酒甕」の石塔がある。

 
階段を上りきると、燈籠(天保十四年)あり。また猫がいた。

 
拝殿


拝殿に迫る岩肌


左手に境内社の皆さん(ではなく一つの所謂あれなのであるが)あり


「発起人昭和三十一年」の碑。大正期のものより痛んでいる。


「毛魂之碑」。毛根の魂を感じる!


この神社の境内で、さきほどのノラ猫のなみの次にきれいに調えられているそれは、「髪授神祠」。

案内板に曰く、

「日本一社 髪授神祠」

よっ、日本一!

「髪授神祠は、昭和三十一年四月に建立されました全国唯一の神社であります。」

たぶん京都にも毛髪関係のなんかあったけど……

「その神威は乳児の産毛を供え祈願する時は、其の子は一生美髪に恵まれ、若禿、白毛の防止、体毛の発育にも霊験あらたかであると古来より言い伝えられて居ります。」


すごい神威である。老人になっても美髪に恵まれるのである。逆に怖い気もするが、まあ言いたいことは分かります。体毛の発育は重要ですよ。いまは男の子も毛を抜いたりしてつるつるになりたがるそうですが、髪は神。身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり。自民党のあの方のように、自分に対する孝行がないからといって「コノハゲー」と言ってはいけませんが、むりやり引っこ抜いたりするのはよくありません。

「祭神は二神あり飽昨能宇斯神(アキグヒノウシノ神)と申し八百緒神の内、私達日本人に髪を授けられ、髪を御守り下さる日本最古の神様であります。」

日本最古か知りませんが、むしろさっき日本一とか言っていたように「日本最高」と言うべきではないでしょうか。アキグヒノウシノさんは、イザナミの腐乱死体をみてしまったイザナギが、噫けがわらしいといって、いろいろなものを投げ捨てたなかの、その冠から生成されたお方。今わたくしは分かりました。イザナギはカツラをかぶっていたのです。冠が毛に変化する訳はありません。あまりにもそれは言語的なセンスです。むしろカツラがスタップ細胞的に自ら頑張ったといって良いでしょう。わたくしも、よく、床屋でわたくしから離れた髪の毛は、ごみ箱の中で少しは生長するのではないかと思うのです。疎外されたものは自然生長すると文戦派も言ってます。

「又、理容業の業祖、北小路采女亮藤原政之を御祭りしてあります。」

北小路采女亮藤原政之は、鎌足の息子です。新羅の人から髪結い術を学び山口や鎌倉で髪結い所で大繁盛!理容業界の神様です。床屋さんが藤原氏の系統だと初めて知りました。そういえば、刀を使ってますからねえ……。

「尚、毛髪の霊を供養する「毛魂碑」が境内に建立されております。髪授神祠奉賛会」


毛髪は毎日少しづつ抜けてますから、すごい数の霊が居るんでしょうね……。「髪授神祠奉賛会」という言葉の響きがいいです。はつじゅしんじほうさんかい。もうこんはつらつふさふさだい、に似ているのではないでしょうか。


左手奥には、「大日大聖不動明王」と「大黒天」。確かに、不動明王は、産まで逆立つ感じで怒りまくっておりますねえ。中を拝してみましたら、けっこうスベスベした石が置いてあったのは、毛的にバランスをとったにちがいありません。

拝殿の右側に回り込んでいくと、素晴らしいものがありました。


お髪、いや「お亀大明神」


三〇センチぐらいの鳥居の皆さんをよくみてみる


昨日のこの方が必ずくぐっていったに違いありません。「鉢穴」に「お亀」とか色っぽすぎてひどすぎるような気がしますが、そんなひどい意味ではなく、たぶん水関係の……甕関係の……。そういえば、香川県には引田にも「お亀大明神」があります。


境内の右下方には、お地蔵さんがおりました。髪の毛はニット帽の下に隠れて見えない


この右下の草葉の陰にも↓


髪の代わりに、コノハで雨をしのぐのであります。

――猫、白龍、犬、髪、不動明王、亀、地蔵、……結局、ここまでくると神社というより、「髪、いや神様ランド」という感じです。

蜂穴神社を訪ねる1(香川の神社88-1)

2017-10-18 19:06:08 | 神社仏閣
昼休みに西宝町の蜂穴神社を訪ねました。


上の写真の向こうは、石清尾八幡宮。山道で繋がっているので、蜂穴神社はある種境内末社ともいえるかもしれません。

 
ここは猫が多いと聞いていたが、入り口あたりにもういました……


昭和七年の注連石

 
狛犬(平成八年)、岡崎型。左の方の手の下にいる方がいい。幸福な日本人民のようです


右側に井戸あり。

 
左側にはいろいろ並んでいる。


「大正二年発起者」

神社誌に曰く、
「傳ふる所によれば貞治元年細川頼之伊豫の河野氏と戦ひし時神夢あり、戦勝凱旋の後石清尾山麓に伊豫三島明神を勧請して奉齋せりと云ふ」

細川頼之は足利尊氏なきあとのごたごたに乗じてか何か分からんが、清氏を滅ぼしたりしたあと土佐と讃岐の守護となって、伊予を仕切っていた河野氏を打ち破って四国を平定する。このあたりの時代は南北朝の争いでもうめちゃくちゃであり、様々な人たちが複雑にいろいろなワルイことをしているに違いない。どうもわたくしの想像するところでは、応仁の乱以降の戦乱の世でみんな何に疲れたかと言えば、戦争にも疲れたが、あっちに気を遣いこっちをだましみたいなことに疲れたのだと思う。天下統一への希求は、そんな心情と関係があるに違いない。学級崩壊よりも管理教育の平和をとったようなものだ。実際、伊予の三島明神を祀ったところで、死者たちのあれはそこら辺を彷徨いているわけで、やりきれなかったに違いない。どうも、このあたりの地形は、ちょっと鬱蒼として奥まった感じがするから、その死者たちのあれを穴を掘って鉢で封をしたところから、「鉢穴」→「蜂穴」となったのではないかと勝手にわたくしの妄想が始まった……鉢は女性器の意味もあるが、さすがにそれだと蜂穴は卑猥すぎるからね……

「其の後社殿火災に罹り明治四十三年改築せり」

上の大正二年は、この四十三年の改築の後である。


「白龍大神」。真言が書いてあるから、弁財天の化身の扱いかもしれん。それにしても、日本の神社って蛇だらけだね……

――つづく