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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

松島神社を訪ねる(香川の神社94)

2017-10-25 23:11:25 | 神社仏閣
松島町。古い家が残る町です。

 
大正三年の玉垣が囲んでいる。

 
巨大な灯籠。左には「石清尾八幡宮」「三宝大荒神」ともかいてある。右のものには文政六年と書いてあった。

 
狛犬さん。大正五年(立太子式紀念)。この神社は、明治四三年に此の地に越してきたのだが、寺島正行さんというのが土地を寄進したらしいのである。玉垣にも燈籠にもこの狛犬にもその寺島さんの名前が見える。大阪の道頓堀にいたらしいですね……


狛犬さんの台座にはこんな感じの……


大正七年の燈籠。大阪からの寄付。


鳥居は、御大典記念の大正四年。


参道を進んでゆく。

   
昭和九年の敷石の寄付も大阪から。燈籠は明治一七年。注連石は明治二九年だった。お馬さんは昭和四三年。





楠がすごい迫力で覆い被さってくる。

 
昔の狛犬さん。これは移転前から居るかたたちであろう……か。玉乗り型みたいですが、吽の人の笑顔がすごい……。もはや人の笑顔に近い……。


拝殿。


本殿。

案内板に曰く、

「当松島神社は、「松島の三宝荒神さん」の名で親しまれてきた。祭神・稚産霊神は生成力の神、また西日本では、かまどの神として広く祀られ、市杵嶋姫命は海の神として敬われてきた。」

生成力というのが、なにやら文学研究の何かを感じる!

「徳川時代の初期(寛永年間)、高松藩主生駒高俊の治世時代に創始された。」


さすが高俊さん!神馬に生駒さんの家紋(波引車紋)があったのはそのせいか……。ちなみに『神社誌』によると、この神社には鎌倉時代の念持仏があるらしい。

「そのあとをうけた藩主松平頼重公と同夫人「皓月院」の崇敬も厚かったといわれている。」


「そのあとをうけた」のかはわからんが、とにかく夫婦で好きだったのですね、この荒神が。

「はじめの鎮座地は、約三三〇メートル南勢の地にあったが、明治四十三年(一九一〇)当地所有の寺島正行氏の寄進により移転した。」


さて、この寺島さんなのですが、道頓堀あたりを検索してみると、「やぐらおこし寺島総本店」というスイーツ屋さんがあって、どうやらこの家の方らしいですね。明治三〇年代に大阪に引っ越されたみたいです。http://www.matsushimacommunity.com/history_matsushimajinja.html


大正一三年の記念樹と碑にあったが、根っこの勢いでその碑が傾いていた……。

 
境内社は、地神さんと琴平神社。地神さんが帽子をかぶっているタイプ。


鳥居が拝殿の右側にもあった。


ゼミに行かねば……