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讃岐府中駅の近くにあります。仕事の帰りに寄りました。鳥居大正五年。
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明治三二年五月の狛犬。浪速型。
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お祭りモードであります。
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狛犬と鳥居を過ぎて若山橋。小川が流れている。
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面白そうな立て札あり。
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燈籠(寛政三年)。明治三十六年の注連石もあり。
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拝殿
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本殿
由緒案内によると、
「創建については、長和から長元年間(1020年頃)、中納言藤原宅成、又永世から天喜年間(1050年頃)、時の国司藤原家経によって京都の石清水八幡宮の分身を、勧請し城山の社を本宮に、当社を新宮としたという二、三の説が伝えられている。」
家経といえば歌を詠む人で
今よりは心ゆるさじ月かげの行方もしらず人さそひけり
という歌がある。月に誘われふらふらとどこをほっつき歩いていたのかはしりませんが、まわりの人は大変だったでしょう。
「源頼朝は、武神として八幡神を尊崇し、これによって各地に祀られ讃岐でも一郷十八幡に始まり今ではその数100社を越えて祀られている。」
漁夫の利男・頼朝が八幡を頼っていたおかげで、全国には四万(案内板によると)の八幡がある。ここの神社の祭神も、足仲彦天皇、息長足姫命、譽田天皇。すなわち、応神天皇の父母本人である。武神になっている。しかし八幡といえばなんといっても、道鏡がらみの宇佐八幡神託事件であろう。宇佐八幡の神はなんと「道鏡という坊主を天皇にすればイイよ」と言ったというのである。ワケのキヨマロが「嘘でした」と言ったので道鏡は天皇にならずにすんだ。坂口安吾は「道鏡」で面白おかしく終戦直後にそれを小説にしたが、私は、むしろ、宇佐八幡の神が本当に道鏡を天皇にしようとしたのではないかとも思うのである。天皇は道徳的な神である必要がある。もういっそのこと、坊主の道徳を身に纏い……と考えても不思議はないっ。だいたい、ワケのキヨマロの前に出現した八幡神は9メートルの坊さんだったらしいではないか。(参考:昨日読んだよ内田樹『街場の天皇論』)
庶民はさすがにその八幡神の言いたいことを分かっていた。そして、――習合して、八幡大菩薩の誕生である。
ところで、道鏡はきょ★んだという説があり、かわいそうなことに「ドウキョウオサムシ」とかいうのもいるのである。しかし、まだこれは人々の一部の願望を表していて悲しい。平田篤胤の『霊能真柱』の後半など見ると、「「やをれ、夷の頑たぶれ、辛き目見せむ」と雄建びつゝ、賊の軍の中に翔け入りて、蟻の集へる奴原を、八尋の矛をふりかざし、かの燒鎌と敏鎌を以ちて打掃ふことの如く、追ひしき追ひ伏せ、犬と家猪とのものつかせ、或はしや頭ひき拔きすて蹴散かし、うち罰め、山室山にかへり來て、老翁の命に復命まをしてなまし。あな、愉快きかも。」と何だか、こわい。悲劇に襲われると人はなにを想像するか分からない。ドウキョウオサムシも暴れるのも大して違いはないかも知れないが、前者により悲しみを見るのが坂口安吾であろう。よく分からんが……。とにかく、何かに「勝つ」ために八幡に祈る人は多い。しかし、「不良少年とキリスト」の安吾ではないが、誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
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乃木大将の「従軍記念碑」(明治三六年三月)。善通寺の第十一師団師団長となっていた乃木希典であったので、この碑も揮毫しておる。「明治二十七、八年の役」(日清戦争)に従軍して凱旋した此の地の人たち二十人の記念碑らしい。撰文と書は丸亀中学校の先生二人が分担している。学校の先生がこういう役回りをしていたのだ。
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地神社
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中に小太りの