★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

歴史の終わりと言葉の絶滅

2025-03-05 13:16:31 | 文学


同級生に憎まれながらやがて四年生の冬、京都高等学校の入学試験を受けて、苦もなく合格した。憎まれていただけの自尊心の満足はあった。けれども、高等学校へはいって将来どうしようという目的もなかった。寄宿舎へはいった晩、先輩に連れられて、円山公園へ行った。手拭を腰に下げ、高い歯の下駄をはき、寮歌をうたいながら、浮かぬ顔をしていた。秀才の寄り集りだという怖れで眼をキョロキョロさせ、競争意識をとがらしていたが、間もなくどいつもこいつも低脳だとわかった。中学校と変らぬどころか、安っぽい感激の売出しだ。高等学校へはいっただけでもう何か偉い人間だと思いこんでいるらしいのがばかばかしかった。官立第三高等学校第六十期生などと名刺に印刷している奴を見て、あほらしいより情けなかった。
 入学して一月も経たぬうちに理由もなく応援団の者に撲られた。記念祭の日、赤い褌をしめて裸体で踊っている寄宿生の群れを見て、軽蔑のあまり涙が落ちた。どいつもこいつも無邪気さを装って観衆の拍手を必要としているのだ。けれども、そう思う豹一にももともとそれが必要だったのだ。記念祭の夜応援団の者に撲られたことを機縁として、五月二日、五月三日、五月四日と記念祭あけの三日間、同じ円山公園の桜の木の下で、次々と違った女生徒を接吻してやった。それで心が慰まった。高校生に憧れて簡単にものにされる女たちを内心さげすんでいたが、しかし最後の三日目もやはり自信のなさで体が震えていた。唄ってくれと言われて、紅燃ゆる丘の花と校歌をうたったのだが、ふと母親のことを頭に泛べると涙がこぼれた。学資の工面に追われていた母親のことが今はじめて胸をちくちく刺した。その泪だった。そんな豹一を見て、女は、センチメンタルなのね。肩に手を掛けた。豹一はうっとりともしなかった。間もなく退学届を出した。そして大阪の家へ帰った。


――織田作之助「雨」


フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を笑う人は多いが、日本近代文学やらも終わったらしいし、批評やら学問やら世界やらの終わりをとてもたくさんの人たちが言っていて、フクヤマ以上に偉そうな態度である。人びとが、まだサリンを撒いた奴が言行一致しているんじゃねえかと思い始めたらどうするのだ。もちろん、上のすべてがまったく終わっていない。終わったのは2月ぐらいだ。もう3月である。

そういえば、教師たちに関しても、いつの時代も「最後の教師」とか同僚たちに言われているひとがいる。そういう事を言う人たちがどういう人かと言えば、勇気がない無責任な者たちというだけだ。いつも一生懸命な奴とそうでない奴が居るだけのような気がする。

いろいろなものが終わりそうだとかいうので、最近の大河ドラマなんかも、物事の始まりを描くことが多い。昨年の源氏物語なんか、平安貴族の時代の終わりを描いているだけ良心的だ。わたくしの幕末のイメージといえば、「夜明け前」とみなもと太郎の幕末マンガでできているような気がするのであるが、そのせいか、私には、幕末から明治というのは狂気とギャグでしか正視に耐えない。大河ドラマとかで扱われるのはそれだけでどことなくいやだ。明治維新のあたりを褒める奴の特徴として、実はこんな真実がありましたみたいな姿勢になるのもいやなのである。対して、戦国時代以前はどことなくおとぎ話にならざるをえないから、想像力でこんなに補ってみました、みたいなのがいいと思う。もう題材は日本武尊とか白村江の戦いでよいのではないか。

大正時代あたりまではかなりのこっている、江戸的な気取りというか嘘らしさを、遅れた下品さとして必死に脱色していった結果が我々な訳でその潔癖さにわたしは共感するところがある。が、その代わりに、漢文古語を主として、語彙の溢れる感覚の鋭さを失った。わたくしはそれらを取り戻せるんじゃないかとも思っているのであるが。むかし、学生時代、近世文学の先生に、近代文学やっているやつは言葉がないところに文学があるみたいな感覚に淫しているオタクだと言われたことがある。それで結構である。そういう言葉の絶滅したところに近代の恐ろしさがあったではないか。透谷の言うAnnihilationが我々の起源である。

ぬいぐるみの項目には特撮のきぐるみが含まれているが、コスプレも着ぐるみの一種だし、かんがえてみたら、われわれもふだん顔だけ出したぬいぐるみや着ぐるみと言ってよいと思われる。いや、我々は、言葉や自分自身の絶滅を、着ぐるみでしのいでいるのである。