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故意になまけるというと、なんだかおかしく聞こえるが自分はいやになった時、無理につとめて勉強をつづけようとはせず、好きなようにして遊ぶ。散歩にも出かければ、好きなものを見にもゆく、はなはだ勝手気ままのやり方ではあるが、こうして好きなことをして一日遊ぶと今まで錯雑していた頭脳が新鮮になって、何を読んでもはっきりと心持ちよくのみ込める。
また、自分は読書するにしても、机の前に正しくすわって几帳面にやる時もないではないが、いかにも性質上そう堅苦しくする事を好まない。だから時々どこへなりとすわったなりそのまま本を手にして、読みつづける時もあれば、横になって見ることもあり、寝て読む時もある。ほとんど読書する時の態度は一定しなかった。要するに不規律のやり方ではあるが、どうも自分の性質として、窮屈に勉強するより、楽に自分の気に入ったようにするほうが、心がゆったりして記憶する上にもよかった。だがこんな事は決して、自分ながらも結構な事とは思っていぬのだから、読者諸君においてもこのへんのところはよく参酌して、そのうちのよい点だけを取るようにしてもらいたい。
――寺田寅彦「わが中学時代の勉強法」
久米正雄の小説はまった受験に役に立たん。いまどきの受験の「綜合」的なもの以前の物語だみたいなことも書いていたと思うが、その現状認識もおかしい。