なんか、ロックフェスティバルに政治を持ち込むな、いやもともとロックは反権力だ、……なんちゃらと、旧態依然とした論争が今さらながらあるそうである。だいたい、ロッケンロールなんぞ
まあ、ロッケンロールの政治青年の時代は過ぎたというわけであろうか。そんなことはないと、当事者たちは言うであろうが、クラシック命の中学生のわたくしを「社会主義者」呼ばわりした、パンクロック好きの青二才みたいな奴が、ちゃんとパンクでありつづけないからこういうことになるのだ。
この前、NHKの合唱コンクール全国大会をテレビで見たが、なんだか北朝鮮みたいな雰囲気になっててびっくりした。JPOPの歌手が曲を書き出してからおかしくなったと誰かが言っていたが、本当かどうかは分からん。音楽コンクールというものは、舞台裏で順番を待っている連中が、舞台に立っている連中に「音まちがえロー音外せー」と呪いをかけたりする殺伐とした雰囲気がよいのである。
芸術というものは、理不尽な世界だ。事実としては全くそうでもないが、一番よいものだけに価値があり、他は
やはり第9とかマタイ受難曲やショスタコーヴィチがいけなかったのであろうか。
いや違う。第9やマタイ受難曲に、内田樹の論文を歌わせても辛うじて芸術になる可能性がある。政治的な活動家たちよ、芸術家に金を出せ。しかし、その結果総選挙などを行う政治的音楽集団が簇生するのは反対である。我々の世界が、音楽にも政治にも慣れすぎて、それらが混ざった「日常」なるものの保守にあせくせしているのは、政治的でも音楽的でもないからだ。