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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

御学問にはせさせ給へ――反「読み書きそろばん」

2019-12-16 23:06:59 | 文学


村上の御時に、宣耀殿の女御と聞えけるは、小一条の左の大臣殿の御女におはしけると、誰かは知りたてまつらざらん。まだ姫君と聞えける時、父大臣の教へ聞え給ひけることは、『一には、御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を、人より異に弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌廿巻を、皆うかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ』となむ、聞え給ひける
 
以前、授業で、「諸君ときたら、お習字、お琴やピアノはやったことがあるかもしれませぬ。しかし古今集二十巻を習った人はあまりいませんね。だからダメなんです。恋に落ちたらまず和歌でやりとりなさい」と言ったら、女御たちがきゃっきゃしていたが、そういえば、これが通じるのは国語教室だからということであろうか。考えてみたら、和歌だけが足りないと思っていたわたくしの感性はほぼ清少納言の考えに近い。

わたくしの脳裏に何故。「3R」つまり「読み書きそろばん」が浮かばなかったのか謎である。わたくしは本当に近代の生まれなのであろうか。

読み書きそろばんは、近世以降の初等教育で必須のものとされている。まったく、労働者たちは一生働いてなさい。文化に携わる者、こんな3Rにかかわっている場合ではないのである。

 ある国で第一番の上手というお医者さんが、ある町に招かれて来ました。お医者さんは町に着くと直ぐ、
「ここの人はどうして一日を過ごしていますか」
 と尋ねました。
 町の人はこう答えました。
「別に変った生活もしませんが、私達は日の出前に起床し、日が暮れて床に就き、明るいうちはせっせと働いて日を送っています。又餓じい時はお腹を一パイにするだけ御飯を食べます」
 と答えました。
 お医者さんは、
「それでは私はここにおっても仕事がありません。そんな生活をする人達はいつも健全で医者の厄介になる事がありませんから」
 と言ってさっさとここを立ち去りました。

――夢野久作「働く町」


夢野久作は、ときどきこのようなどのような認識があって書いているのか分からんものを書くことがある。労働者がそんな生活でいつも健全なわけがない。しかし、戦時下の家庭と社会活動で苦しむ婦人について書かれた「働く婦人」(宮本百合子)なんかを読むと、逆に夢野久作の主人公の性別の不明さがやや不気味に思えてくる。夢野の方が、労働の本質をよく分かっていたのではなかろうか。医者の厄介になることがない、これは結果的にどんな場合もそうだったのである。「ある国で第一番の上手」の医者は、つねに清少納言の周辺に急いで働きに出てしまう。

しかしだからといって、清少納言の界隈はやはり和歌に集中すべきなのであった。腹一杯食べなくても和歌をすべきなのである。

細き板敷に居給ひて

2019-12-15 23:07:41 | 文学


高欄のもとに、青き瓶の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣の少しなよらかなるに、濃き紫の固紋の指貫、白き御衣ども、上に濃き綾のいとあざやかなるを出だして参り給へるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居給ひて、ものなど申し給ふ。

青磁の瓶に桜を活けてるんだけれども、桜と言えば、自然のなかで酒盛りだ毛虫だ、みたいな現代人は美を構成する意識がそもそも希薄なのだ。リアリズム思想もそれを後押しした。上の場面なんか、ほとんど人工的な感じである。大納言(中宮の兄貴、伊周)二十一歳、上(一条天皇)十五歳という若々しい設定までまるで創られた絵である。「細き板敷に居給ひ」がよい。この場面全体が、細き板敷きのようなものである。外への広がりはないのだ。中宮を中心とした美的構成があるだけだ。

春は曙、も実はそうなのである。しかし、このようなものを、唯物論者が科学的でないとか言っているのはまだいいにしても、文化の発酵自体を馬鹿にする風潮が長く続きすぎている。上の場面だって、別にいいとは思わないが、ぶっ壊して駐車場にすりゃいいというものでもないんだ。

むかし鴻池家に名代の青磁の皿が一枚あつた。同家ではこれを広い世間にたつた一つしか無い宝物として土蔵にしまひ込んで置いた。そして主人が気が鬱々すると、それを取り出して見た。凡て富豪といふものは、自分の家に転がつてゐる塵つ葉一つでも他家には無いものだと思ふと、それで大抵の病気は癒るものなのだ。

――薄田泣菫「青磁の皿」


泣菫はある富豪が飲み屋で自分のうちにあった青磁の皿と同じものを見出し、小判何枚も出して買い取ったあげくその場でそれをたたき割ったエピソードを紹介している。まあ、そういうこともあるかもしれん。これが華族とかではなく富豪というところに泣菫の言いたいことがあるのであろうが、この富豪も泣菫ももうすこし青磁の皿にやさしくあってもよいのではないか。皿に花を置くぐらいの……

別に泣いたり菫をみたりじゃなくてもいいわけである。

インテリの喧嘩――清少納言

2019-12-14 23:13:23 | 文学


中宮定子がお産のために平生昌の家に移った。中宮の実家は既になかったのでしょうがなく、かつて定子に仕えていた大進の生昌の家に行ったのである。生昌兄弟にはいろいろあったらしく、――要するに、藤原道隆を見限って道長に接近したという事情で、清少納言も嫌っていたらしい。とはいっても、平家物語の世界のように「なんだと」「殺すぞ」みたいな感じではなく、「なんなのあのお方は」「ひとこと言ってやりませう」みたいなかんじである。

門が新調されていたんだが狭くて車では入れない。で、筵を引いてバタバタしながら歩いたのである。いらいらしているところに、中宮が「みんなが見てるというのに、油断しましたわね」と笑うので、清少納言としてはプライドが活火山のようになっている。「あなた、門が狭すぎるわよ」というと、生昌は「身の丈に合った門だもん」という。

「されど、門のかぎりを高う作る人もありけるは」といへば、
「あな、おそろし」とおどろきて、
「それは于定国がことにこそ侍るなれ。ふるき進士などに侍らずは、うけたまはり知るべきにも侍らざりけり。たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだにわきまへ知られ侍る」といふ。
「その御道もかしこからざめり。筵道敷きたれど、みな落ち入りさわぎつるは」といへば、
「雨の降りつれば、さも侍りつらむ。よしよし、また仰せられかくることもぞ侍る。まかり立ちなむ」とて往ぬ。


せっかく生昌さんが「あっ、それ于定国の話ですよね。ぼくも勉強の道を歩いたんで知ってます」とフレンドリーに返したのに、学に拠って立つ人間に中途半端な学をひけらかしてはならぬ。わたくしに容易に「弁証法的唯物論」とかの話をしてはイケナイのと同じである。案の定、清少納言は「道といっても、お前さんの道は筵ひいてもでこぼこじゃねぇか、お?」と大反撃。学があるものが感情的になると、そこらのチンピラよりもタチが悪いのは大学に来れば分かります。

彼は漸く浮き上った心を静に愛しながら、筵の上に積っている銅貨の山を親しげに覗くのだ。そのべたべたと押し重なった鈍重な銅色の体積から奇怪な塔のような気品を彼は感じた。またその市街の底で静っている銅貨の力学的な体積は、それを中心に拡がっている街々の壮大な円錐の傾斜線を一心に支えている釘のように見え始めた。
「そうだ。その釘を引き抜いて!」

――横光利一「街の底」


清少納言に欠けているのは学ではなくファンタジーであり、だから「をかし」とか言っていられるのである。

ヤクザ映画と料理

2019-12-12 23:19:40 | 映画
仁義なき戦い(予告編)


「仁義なき戦い」は何回も見たが、山守組組長の金子信雄がなかなかの演技で好きであった。今日は、その「仁義なき戦い」にも出ていた梅宮辰夫氏が亡くなったが、この人は料理研究家みたいな人であって、すっかり忘れていたが、金子信雄氏もそうであった。

わたくしは食べ物にはあまり興味がないが、料理はオーケストラと似ていて、要素が揃ったときに一気に化ける。そして観客や食べた人の反応が素直である。

映画は非常に面倒な業界で、文学と一緒である。頑張ってよい作品をつくっても、創造した者が無事で済むことはあまりない。それを知らずに才能を発揮してしまう人は若いうちから傷つく。梅宮氏なんかも若い頃から結構上手だったので、いろいろ言われたであろう。

そんな人は料理みたいなものに惹かれるのかもしれない。そういえば、挫折したプロ野球選手なんかがうどん屋になったりするのは、人からの素直な感想に飢えているのではなかろうか。プロ野球の世界も、素人が極めて勝手なご託を並べている世界である。

以前、岡田斗司夫氏が「シンゴジラ」を評して、日本人の役者は下手なので早口で喋らせるほかはないんだと言っていた。たしか他の人も、日本の役者は下手の時はヤクザか不良をやらせるほかはないと言っていた。確かに、我々の文化ではそのような下品なこけおどしはなんとなく容易な気はするのである。が、――例えばヤクザ映画なんかをみても、やはり上手い人と下手な人はいるようである。

けふはみな乱れてかしこまりなし

2019-12-11 23:13:56 | 文学


また、かたみに打ちて、男をさへぞ打つめる。いかなる心にかあらむ、泣き腹だちつつ、人をのろひ、まがまがしく言ふもあるこそをかしけれ。内裏わたりなどのやむごとなきも、けふはみな乱れてかしこまりなし。

十五日は節句で小豆粥を食べるのである。粥を炊いた棒で女の腰を打つと男が生まれるというので、みんなでたたき合って遊んでいるのである。ちょうどそんな頃に、お姫様に通う婿殿ができはじめて、婿殿が通ってくるときに、さあ姫君の尻を打つわよ、という感じで後ろから狙っていると姫の前にいる女房がしっと手真似で止めるが、お姫様はバカなのか天然なのか気づかない。「この物をとりませう」と言って近づき、姫の腰を打って逃げる。みんな笑う。婿殿も笑う。お姫様は「少し赤みてゐたる」。これがをかし。

で、しまいにゃ、上のように、男の腰を打ったりするのであった。カオスである。しかし、こういう感じのふざけあいにも乗れない人はいるもので、詛ったりまがまがしく悪態をついたりする人もいる。清少納言は、とにかくこの世は全てをかし、のモードに入っているので、こんなものも「をかしけれ」になってしまうのであるが、どうせ、我々の先祖のことである。どさくさに紛れて、陰湿ないじめをやっていたに違いない。紫式部が見ているのは、そういう側面であろう……。

女「あたしもその男に出会った。勝手口のくぐり門の外で一度、表門のわきで二度。紺のダブダブのオーバーのポケットに両手を突込んで、影のように立っていた。なにかまがまがしい影のように突立っていた」

――江戸川乱歩「断崖」


我々の世界においてまがまがしいものは、直ぐさま外部として感知される。そして、自分のまわりに壁をつくる。そうすると、その中にまがまがしい物ができる。更に壁をつくる。――この繰り返しで、我々はついには、電子の海に自分を投げ出す。そうすれば、上のようなカオスに戻ったような気分が復活し、「かしこまりなし」になるのである。

ころは、正月・三月、四月・五月、七・八・九月、十一・二月

2019-12-10 22:12:38 | 文学


ころは、正月・三月、四月・五月、七・八・九月、十一・二月。すべて、折につけつつ、一年ながらをかし。

をかしすぎるでしょ

正月。一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしう霞こめたるに、世にありとある人はみな、姿かたち心ことに繕ひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、ことにをかし。

本当におかしい人いますよね……

七日。雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの、目近からぬところに、持て騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬見にとて、里人は、車清げに仕立てて見に行く。中の御門の戸じきみ、曳き過ぐるほど、頭一ところにゆるぎあひ、刺櫛も落ち、用意せねば、折れなどして笑ふも、またをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを。

「をかし」によって物事をみることとは、とりあえず、「まずは全てを肯定だ」という感じである。「心絶ゆ」とすぐなってしまう源氏の人々と違って、とにかくすべてが「をかし」なのだ。そうやってみると、馬が驚いている姿などが見えてくるわけである。

はつかに見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、殿司・女官などの、行き違ひたるこそ、をかしけれ。「いかばかりなる人、九重を馴らすらむ」など思ひやらるるに、

安心して下さい。ただの人間たちです。知ってるくせにこういうこと言う清少納言は嫌らしいですね……

内裏にて見るは、いとせばきほどにて、舎人の顔のきぬもあらはれ、まことに黒きに、白きものいきつかぬところは、雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見苦しく、馬の騰り騒ぐなども、いとおそろしう見ゆれば、引き入られて、よくも見えず。八日。人のよろこびして、走らする車の音、ことに聞こえて、をかし

本当は馬とかが騒ぐのが面白いくせに、雪の下の斑がみえるみたいだ舎人顔、とはあまりに自らの欲望を隠蔽しているのではなかろうか。車でちょっとドライブでもしたいんでしょうが、あなたは……。文系の勉強ばっかりしていると、白馬の節会の本義を軽蔑し、馬の顔とか人間の顔を批判して面白がるようになります。

すべて色は温度電力等と違い、数度もて精しく測定し得ず、したがって常人はもとより、学者といえども、見る処甚だ同じからず、予この十二年間、数千の菌類を紀伊で採り、彩画記載せるを閲するに、同一の色を種々異様に録せる例甚だ多し。これ予のみならず、友人グリェルマ・リスター女の『粘菌図譜』、昨年新版を贈り来れるを見るに、Diderma Subdictyospermum の胞嚢は雪白と明記され、D. niveum も、種名通り雪白なるべきに、図版には両ながら淡青に彩しあり。されば古え色を別つ事すこぶる疎略にて、淡き諸色をすべて白色といいし由 L. Geiger,‘Zur Entwicklungsgeschichte der Menschheit,’S. 45-60. 等に論じたり。高山の雪上の物影は、快晴の日紫に見ゆる故、支那で濃紫色を雪青と名づくと説きし人あり(A. Sangin, Nature, Feb. 22, 1906, p. 390)、紫を青と混じての名なり、光線の具合で白が青く見ゆるは、西京辺の白粉多く塗れる女等にしばしば例あり、かかる訳にて、白馬を青馬と呼ぶに至りしなるべし。

――南方熊楠「十二支考――馬に関する民俗と伝説」


近代科学万歳!

春は曙――昼夜逆転物語

2019-12-09 23:15:02 | 文学


春は曙。やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。


体言止めがなんか不愉快……。清少納言は、あとで「冬はつとめて」とも言っておるから、早起きなのであろう。いや、この「紫だちたる雲の細くたなびきたる」感じが心に染みるのは、たとえば徹夜で論文を書きながら心的黄昏のなかでみる朝焼けのようである。だれかが死んだのか悲しい気がする。いや、清少納言は昼夜逆転しているに違いない。勉強しすぎてリズムが狂ってしまったのだ。漢籍を浴びるように読んだあと、疲れて、若い身空で随筆的悟りみたいな、あはれに弊れた感じになっているのが彼女であろう。

夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。


やはり、夜が好きなようである。夜なのに月が好きだと言うことは、わたくしなら、深夜の蛍光灯が好きという感じである。あっ、つい蛍を出してしまいましたが、わたくしも蛍が飛び交っているのを見たことがあります。「東亜協同体論」についての論文を書いていたときです。部屋の隅に天使が居たのです。鼠でした。うつらうつらしていたら、今度は目の前に黄色い火花が見えました。火花は雨のように視界を移動していきました。

秋は夕暮。夕日のさして山端いと近くなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入りはてて、風の音、蟲の音など。


秋の夜長は論文執筆の季節です。夕陽が落ちてくると俄然やる気が出てきます。うるさい烏は寝床に行くでしょう。三、四、二……。つい、烏なんかを数えてしまいました。確かに、川の石を数え始めるよりはましです。ブルックナーは本当にそういうものを数える人だったらしいのですが、彼の音楽は、黄昏の烏を眺めるような気分の箇所が何カ所も出てきます。よくみると、雁が向こうで米粒のようになっていて、それも数えてしまいそうです。このままだと気が狂いそうですが、日が暮れてしまえばこっちのもので、風の音と虫の声だけなのだから、これが気分がよい。

冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでも いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃・火桶の火も、白き灰がちになりぬるは わろし。

そろそろ眠くなってきたところで、雪でも降っていれば、何にも数えなくていいからよいね。わたしの頭も真っ白よ。眠いので、女房たちよ、さっさと炭火をもっていらっしゃい。昼になってしまうと、まだ寒いのに、炭は白く、しかし寒くないから、雪の白さのように張り詰めた感じがない。わたくしは眠いので気分が悪いのであった。

岡本かの子が「靉靆の形に於いて清亮の質を帶びるものを「朧」の本質ともいふべきか。」(「朧」)と言っている。そこで、岡本は「春は曙」にも触れていたわけだが、――わたくしは、その「清亮の質」とやらが普通の状態ではありえないと思うだけである。清少納言のレベルのインテリが、「春は曙がイイネ」とか本気で言ってると思うかね……。それを日本の美とやらの説明に使っているセンスの狂った人間は許せない。

忽焉としてあらずなり

2019-12-08 23:36:28 | 文学



そをきかれずと知りながら、犯して身を殺すは益なし。それ危ふき邦には入らず、乱るる邦には居らず。この故に酒家八名は当初を去りて、他山に移らまくす。

だいたい親が間違って仁であっても、子はその反対に行ってしまうものだし、孫になるともはや馬糞レベルということはよくあることだ。はじめから馬糞レベルの場合は、もはや身は消えて群がる蠅レベルになっているかもしれない。我々のまわりも、大概が祖父よりも使えないやつになっている。この感じで行くと、里見家の没落なんかも、我々よりはかなり高レベルであり、彼らが犬を使って勝利を収めているところからみると、すくなくとも彼らが人間であったことは間違いはない。我々は里見の人たちよりどのくらい劣化しているか分からない。蠅を通り越して、ミトコンドリアあたりではないかと思うのである、やたらバカみたいな協働とか絆とか言っているから、ほぼ生物としての個体ではないとみていいだろう。

閑話休題。毛野は言う、里見家の没落を諫めようと思ったのだが、あいつ等は死ぬ程バカなのでしょうがない。そんなことをして殺されてしまってはつまらない。論語も言っておるぞ、やばい国には入らず、乱れた国は居ない方がいいぜ。ということで、我々は他の山に移ろうとも思うんだが、と。続いて他の犬たちも、「もし迷って、職や録を惜しんでこの国で徒党なんか組んだら俺たちの名を貶めるぞ」と説教する。

犬たちも戦争やらずに歳をとるとマトモになっている。国が乱れると職や給料のために滅茶苦茶になってしまうぞと子犬たちを諫めているのであった。いや、もはや彼らは犬ではない。人間になったのである。子犬たちは、「踧然と畏みて、頭を低てありける」のであったが、

怪しむべし八個の翁は、忽焉としてあらずなりて、室中に馥郁たる、異香しきりに薫るのみ。


八個の翁というのが、人間としての玉の如く表現しているようでいいとおもう。翁たちは仙人になったとか、ならないとかはこの際どうでもよく。日本においては人間には住む場所はないのである。犬しか生きられぬことを馬琴は知っていたのであった。「破戒」の主人公は、テキサスに行こうとか言っているが、これはよくある話であって、まだ犬のレベルを抜け出ていない。人間であるためには、消えるしかないのであった。切腹や心中はだめである。犬に好かれてしまう。消えるのがいい。

自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もずいぶん多いにちがいない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応なしに引き摺ってゆく――ということであった。

――梶井基次郎「のんきな患者」



わたくしが気になるのは、若い頃犬だったから八犬士の翁は消える体力もあったのではないだろうかということである。近代では、早熟に人間にならざるを得ない人も多く、中年以降、消える体力はない。無理にみんなで消えようとすると、上のような軍隊での死みたいになる。

反「思議すべからず候」

2019-12-07 23:14:44 | 文学


事と物には因果あり。因は始なり、果は終なり、我々が玉の文字と身に在る痣子は、すなはちこれ因なり。もしこの玉と痣子なくは、何をもて伏姫上の、御子なるを知る由あらん。[…]この奇事の終はりなくは、玉に疵あり、人に痣子あり、無垢清白とすべからず。まことに仏法無料の方便、役行者と伏姫神の、利益か造化の小児の所為か、思議すべからず候」

思うに、因果がなにやらと言う人の、原因に対する意識は大概この程度である。「思議すべからず候」と言っちゃおしまいなのだ。だいたいに、人間の痣が消えたぐらいで、「無垢清白」になるわけがないではないか。この程度の認識の乱暴者たちが、科学主義とかエビデンスとか言っていることが、戦争責任の問題が流れてしまった原因なのである。

それから、ふと見識らぬ婦人が側にゐるのを思ひ出した。すると彼は妙に気恥しくなつた。空二は漫画の本を横に隠して、顔を婦人の方へ向けた。空二の眼に好色的な輝きが漲つて来たが、婦人は清浄無垢の表情をしてゐる。

――原民喜「雲雀病院」


言うまでもなく、清浄無垢なものは、好色的な眼差しによって逆説的に見出されるのである。救いという観念はその辺を分からなくさせてしまうのであった。救いというのは、例えば『夜露死苦現代詩』みたいな好色的なものをそのまま清浄無垢なものとみるのではなく、実際に教育し生活を整えることによってもたらされるのだ。坪内逍遙が「八犬伝」を批判したのを最大限評価したいとわたくしはさっき思ったのである。

「草木もなびくばかりなれば」考

2019-12-05 23:18:59 | 文学


「師父の自譴はさることながら、さきにも諭しまうししごとく、悪を懲らすのも仏の方便。時宜によりては殺生も、反て仏意にそむかざるべき、師父の大功仰ぐべし。[…]まづ斎をまゐらせん。この連日山ごもりの、疲労をいやし給ひね」と解れて丶大はうなづくのみ。

この人殺し犬坊主がっ。さぞ、お腹が空いたでしょう。

この犬坊主、卑怯にも風を操り里見軍の勝利に貢献。中勘助のバラモン犬とともに地獄行きであろう。しかしまあ、それにも増して卑怯なのは、里見が勝ったら、仁政万歳みたいにぺこぺこ出てくる下々の者である。

さる程に、麟里近郷なる、郷士郷民荘客らの、里見の仁政を慕ふ者、招かざるにつどひ来て、請ふて軍役にたたまく欲りする者、千をもて数ふべし。ここをもて、犬坂が、軍威いよいよやちこにて、草木もなびくばかりなれば、次の日毛野は馬にうち跨り、二三百の、隊の兵を相従へて、城外四境をうち巡りつつ、民の訴へをきき定むるに、郷の古老ら、簞食壺漿して、歓び迎へざるはなし。

調子に乗ってんじゃねえぞ、この愚民どもが。さぞお腹が空いていたのでしょう。

めずらしいものが降った。旧冬十一月からことしの正月末へかけて、こんな冬季の乾燥が続きに続いたら、今に飲料水にも事欠くであろうと言われ、雨一滴来ない庭の土は灰の塊のごとく、草木もほとほと枯れ死ぬかと思われた後だけに、この雪はめずらしい。長く待ち受けたものが漸くのことで町を埋めに来て呉れたという気もする。この雪が来た晩の静かさ、戸の外はひっそりとして音一つしなかった。あれは降り積もるものに潜む静かさで、ただの静かさでもなかった。いきぐるしいほど乾き切ったこの町中へ生気をそそぎ入れるような静かさであった。

――島崎藤村「雪の障子」


確かに、草木も靡く、を否定すると、草木も枯れ死ぬ、になりかねない。草木は靡いているのではない、太陽のある方に体が反応してしまうのだ。民草だ。太宰治の「パンドラの匣」や、安部公房の「デンドロカカリヤ」の植物たちは、自意識過剰なので、本当に権力に靡くかんじなのだが、民草は違う。本当に草なのだ。里見がでてきたら他人だとは思わなかったのだ、自分の一部である太陽だと思ったのである。草たちの中に太陽があり、太陽と草は繋がっている。絆ではなく、一部として既に繋がっている。犬たちは少し人間に近かっただけだ。

田原2

2019-12-04 23:55:24 | 文学


『谷川俊太郎詩選集1』を読んでたら、編者が中国出身の田原氏であることに気がついた。そういえば、同じく中国のミュージシャンで小説家の田原さんはいまどうしてるのであろう。

詩集をぺらぺら

2019-12-03 23:52:47 | 文学


谷川俊太郎はあまり読んでこなかったのだが、今日、「渇き」とか「サルトル氏に」などを瞥見した。来年の授業、迷ってきたぞ……。『夜露死苦現代詩』はちょっと無理か……。




伏姫の中に因果あり

2019-12-02 23:37:15 | 文学


確か高田衛氏も指摘されていたと思うが、北村透谷の八犬伝論「処女の純潔を論ず――富山洞伏姫の一例の観察」はなかなか鋭いではないか。

「八犬伝」一篇を縮めて、馬琴の作意に立還らば、彼はこの大著作を二本の角の上に置けり。其一はシバルリイと儒道との混合躰にして、他の一は彼の確信より成れる因果の理法なり。全篇の大骨子を彼の仁義八行の珠数に示したるは、極めて美くしく儒道と仏道とを錯綜せしめたるものなり。その結構より言ふ時は、第一輯は序巻なり、而して第二輯の第一巻は全篇の大発端にして、其実は「八犬伝」一部の脳膸なり、伏姫の中に因果あり、伏姫の中に業報あり、伏姫の中に八犬伝あるなり、伏姫の後の諸巻は、俗を喜ばすべき侠勇談あるのみ。

高田氏は、透谷はキリスト教的な「神聖受胎論」の影響を受けているので、みたいなことを言って相対化されていたと思う。確かにそうかもしれない。しかし、キリスト教をいろいろ勉強したはずの我々でさえ、伏姫の箇所を読んで「伏姫の中に因果あり、伏姫の中に業報あり、伏姫の中に八犬伝あるなり」という――内容ではなく、表現を見出すのは難しい。

透谷の形而上学は、このような修辞的なもののなかに潜んでいる。だから、結局、その目指すものを描写して安心することができなかった。藤村はそれをよく分かってたんじゃないかな……と思った。