十数年前、鈴木大拙さんの代表作として知られる「日本的霊性」という本を読みましたが、
私の読んだ印象としては…”残念だ!”というものでした。
少なくとも、それ以前に読んだ「禅の思想」ほどには、感銘を受けませんでした。
世界的に高名な学者さんの書かれたものであり、影響力もかなりあったものと想像されま
したが、”日本的霊性というものがあのように認識されていたのか”と思うと残念に思えて
ならなかったのです。
私には最後まで大拙師が言う”霊性”の意味がイマイチ伝わってこなかったのですが、その
発露は鎌倉仏教(とりわけ禅と浄土系のそれ)にあったと言います。
これに対し、我が国古来からの神道は霊性の自覚が曖昧だったために、儀礼的なものに堕し
、国家主義と結びついて歪められてしまった、とされています。
私は勿論鎌倉仏教が日本の精神性に大きな影響をもたらしたことを否定しませんが、師の神
道についての見解には限界が有ったと言わざるを得ません。(専門外なので当然でしょうが)
又霊性などというものを果たして概念だけで説明出来るものなのでしょうか?
私はそういうものは、出雲大社の某所とか、丹後の某所などの”私の聖地?”にしばし佇め
ば自ずと言葉で言い表せないものを通して伝わるものだと思います。
そして日本の精神史に大きな結節を開いたものとして、幕末から起こった神道運動~黒住
、金光、天理、大本といった教派神道、新宗教の台頭、私が”日本的メシアニズム”と呼ん
でいるものが挙げられると思います。
これを”霊性の発露”と呼んでいいのかどうかは分かりませんが、少なくともそれまで埋も
れていた、ある種の”霊脈”を発現させたとは言えると思っています。
それは…古代出雲、国つ神の霊統とでも言うべきか…ともかく戦前の伊勢~皇室を国家神道
を中心としたものとは別なる神統譜です。
今日は憲法記念日で、おそらく靖国周辺は騒々しいことになってるのでしょうが、”随神の
道”なんぞが復活したら、軍国主義がまたぞろ…などと神経をとがらせる向きもおられるこ
とでしょう。
だが我々の魂の故郷にずっとひっそり息づいている、み霊親の理念は”和合”なのです。
大本教ではかつて”火水のご用”という重要な神事が行われたことがあったのですが、それ
は天つ神と国つ神との和合、すなわち天地和合、神と人の和合の型だったそうです。
私はもとより如何なる宗教とも無関係で、そういう事を文字通り信仰している訳でもないの
ですが、ずっと心象には自己の大本なるものがあり、このものが表に顕れる時地上に大調和
世界が開かれる…というヴィジョンが映し出されているのです。
だが目下のところ、我々の意識の表側には元津神は顕わになっていないようです。
まだまだ他の顔色ばかり見ていて、こんなことを堂々と言えないですから…
わが軍は恒久平和なる神国の礎とならん!
私の読んだ印象としては…”残念だ!”というものでした。
少なくとも、それ以前に読んだ「禅の思想」ほどには、感銘を受けませんでした。
世界的に高名な学者さんの書かれたものであり、影響力もかなりあったものと想像されま
したが、”日本的霊性というものがあのように認識されていたのか”と思うと残念に思えて
ならなかったのです。
私には最後まで大拙師が言う”霊性”の意味がイマイチ伝わってこなかったのですが、その
発露は鎌倉仏教(とりわけ禅と浄土系のそれ)にあったと言います。
これに対し、我が国古来からの神道は霊性の自覚が曖昧だったために、儀礼的なものに堕し
、国家主義と結びついて歪められてしまった、とされています。
私は勿論鎌倉仏教が日本の精神性に大きな影響をもたらしたことを否定しませんが、師の神
道についての見解には限界が有ったと言わざるを得ません。(専門外なので当然でしょうが)
又霊性などというものを果たして概念だけで説明出来るものなのでしょうか?
私はそういうものは、出雲大社の某所とか、丹後の某所などの”私の聖地?”にしばし佇め
ば自ずと言葉で言い表せないものを通して伝わるものだと思います。
そして日本の精神史に大きな結節を開いたものとして、幕末から起こった神道運動~黒住
、金光、天理、大本といった教派神道、新宗教の台頭、私が”日本的メシアニズム”と呼ん
でいるものが挙げられると思います。
これを”霊性の発露”と呼んでいいのかどうかは分かりませんが、少なくともそれまで埋も
れていた、ある種の”霊脈”を発現させたとは言えると思っています。
それは…古代出雲、国つ神の霊統とでも言うべきか…ともかく戦前の伊勢~皇室を国家神道
を中心としたものとは別なる神統譜です。
今日は憲法記念日で、おそらく靖国周辺は騒々しいことになってるのでしょうが、”随神の
道”なんぞが復活したら、軍国主義がまたぞろ…などと神経をとがらせる向きもおられるこ
とでしょう。
だが我々の魂の故郷にずっとひっそり息づいている、み霊親の理念は”和合”なのです。
大本教ではかつて”火水のご用”という重要な神事が行われたことがあったのですが、それ
は天つ神と国つ神との和合、すなわち天地和合、神と人の和合の型だったそうです。
私はもとより如何なる宗教とも無関係で、そういう事を文字通り信仰している訳でもないの
ですが、ずっと心象には自己の大本なるものがあり、このものが表に顕れる時地上に大調和
世界が開かれる…というヴィジョンが映し出されているのです。
だが目下のところ、我々の意識の表側には元津神は顕わになっていないようです。
まだまだ他の顔色ばかり見ていて、こんなことを堂々と言えないですから…
わが軍は恒久平和なる神国の礎とならん!