人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ダンマが顕わになる

2015-05-04 17:19:44 | 仏教関連
手島佑郎さんは著書「ユダヤ教の霊性」(教文館)で、東欧を中心に展開したユダヤ教神秘主
義ハシディズムの全貌を浮き彫りにされました。
それまでその資料がほとんど無く、わずかに哲学者のM・ブーバーの研究を通じてしか知られ
ておらず、大変貴重なものだと思います。
これによると、その有り様はブーバーが描いているような熱狂的な祈りの集会というものばか
りでなく、実際は瞑想あり、観仏、念仏のような修練あり、カバラーに由来する魔術的なもの
あり、実に多様性が見られるものなのでした。
そしてこれらが目指しているところは、いずれも”神との密着”つまり、”神と共に有ること”
ださそうです。
私がこのハシディズムの素描に触れて感じたのは、まるで各宗派に分かれる以前の仏教のよう
である、ということです。それは平安時代の仏教に伺えるものなのですが、貴族社会に閉じこ
もり、民衆に浸透するに至らず、形式化も強めて行ったようです。
鈴木大拙師は、”日本的霊性は鎌倉仏教において発露をみた”としているのですが、このこと
は一面仏教の分派が起こり、各宗派の独自の展開を強めて、トータルな仏教理解は希薄になっ
てしまったとも言えると思います。
そして自力だとか他力だとかの議論も喧しくなり、教義や修行に関する枝葉的な方に捉われ、
肝心の仏教本来の面目から離れてしまう事態を招いたと思われます。
玉城康四郎先生は、一貫して形なき命、ダンマに目覚め、生かされることを強調されているの
ですが、ダンマとは相対以前の根源的なものであり、これが顕わに生きて働く時、自ずと一な
る命に和合するものです。
先生の遺著でも示唆されているように、このことはひいては仏教のみならず、他の宗教的伝統
にも通底するものです。
ここに日本的霊性の発露は、全く全的、グローバルな様相で開示されるものであることを強調
したいと思います。
そして現代の状況では、”目覚めに預かる”といった現象は全く宗教を超えたところで起こり
、宗教の外、なんらの特定の信者でなくとも起きているのはご存じのとおりです。
これは正しく、玉城先生の仏教的表現で”ダンマが顕わになる”というその時節を迎えている
ように感じられます。
かつては一流の僧侶とか賢人にしか預かることが出来ない、とされていたものが別にどおって
ことない?人に及び始めている訳ですね。
これは本当の意味で仏道が下々にも浸透したという証かと思われます…。
そう言えばこれからは禅にも念仏にも通底した道が開示される? と架空のマスター、ドクタ
ー・ザボーは言ってました…










コメント
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